黒い稲妻が閃いて、わずかな光すらない夜の帳に空気を切り裂く音が轟き響く。
 肉が切れる感触と骨を砕く感触が少年の手に伝わり、どさりと重量感のある音と共に少年よりもはるかに背の高い偉丈夫の男が崩れ落ちた。
「いたぞ。あそこだ!」
 夜闇を切り裂くように男たちの怒号が少年の耳をつんざく。少年の目がわずかに細められると共に、血糊に濡れた漆黒の刃が妖しく揺らめく。
 少年の射貫くような視線に男たちは身をこわばらせ、じりりと歩を後に下げて構えをとる。
 刹那に一陣の風が駆け抜けた。
「流動閃……」
 厳かに、それでいて少し悲しげに少年は目を閉じて呟いた。少年の前に立ちふさがっていた男たちは全員崩れ落ち、地に伏せていた。
 男たちに静かに一瞥をすると少年はゆっくりと歩き始めた。
 漆黒に広がる夜空には、星はおろか月すら見えない。その色は少年の握る刃の光と同じ。
「すまない」
 目を苦しげに細めて立ち止まる。少年が呟いた言葉は夜の帳に吸い込まれ、少し冷たい夜風によってかき消された。



 空は幼児のようにいつ泣いてもおかしくない灰色だった。生臭い鉄の臭いと共に様々な声音の断末魔の叫びが辺りを満たしている。
 空気を切り裂く鋭い音と共に血肉が大輪の花を咲かせた。嫌に乾ききった音が一斉に辺りを包み込んで、すぐに静寂が訪れた。
 不意に足場がぐらりと揺れる。その瞬間、足場が音を立てて崩れ落ちた。迷うことなく少年は軽く跳び、崩れていない足場へと乗り移る。
 少年は立っていた。人の死体という名の山の上に――
「はは…………。あはははは…………」
 狂気を孕んだ笑い声が静寂を打ち消す。その笑い声に呼応するかのように、少年の手から出ている物がぎらりと銀色に煌めく。その様はまさに修羅のもの。
「もう終わりか〜、つまらないなあ」
 少年はふらりと体を揺らしながら歩き出す。死体の山が小さくなっていき、視界にぼんやりと靄が懸かってしまう頃、少年はふと足を止める。
 ゆっくりと振り返り、少年は無意識のうちに大きく唾を飲み込む。眼下には自らが奪った命の山。不意に笑いがこみ上げてくる。
 脳裏に浮かぶのは今まで奪っていき、蹂躙してきた者達。そしてこれからも人を殺し、蹂躙して生きていくのだ。
 少年の目からは知らぬうちに涙が一筋流れていた。



 世界は白い天井に覆い尽くされていて、狭く息苦しかった。そして世界は少年を愛さなかった。その辺に落ちている木石のように彼らは少年を扱った。そしてそれはいつの間にか燻り、大きな炎へと燃え上がっていく。そして限界を超えた怒りは、悲しみは、辛さは、白い天井を焼き尽くし、焦がす。
 紅蓮の炎が鼓膜を破るほどの炸裂音と共に膨れあがり、爆ぜた。砕け散ったガラスが、光を受けて赤々と輝きを放ち、黒く焼け焦げた建物の壁が、煤と共に木っ端微塵に吹き飛ぶ。
 もくもくと上がる黒煙の向こうから黒い人影が現れた。まっさきに紅蓮の瞳が鬼人の如くぎらりと輝く。
 少年が天を振るわせるほどの裂帛の雄叫びを上げた。建物を包み込んでいた紅蓮の炎が一層勢いを増す。
 天に向かって広がる黒煙と勢いを増した紅蓮の炎のコントラストが滅びの美を表しているかのようだ。少年は燃え尽きようとする建物を一瞥し、歩き始めた。
 青と黒のコントラストの空はただ何の意味も持たないように思える。少年の瞳には済みきった蒼い瞳と銀色に輝く髪をした小さな影。
「白雪……」
 少年の紅蓮の瞳の奥が陰りの色を映した。脳裏に明るく朗らかに笑う小柄な少女が浮かんでくる。
 一瞬閉じられたその烈火の如き瞳には決意の色が浮かんでいた。



 辺りは何も見えない真っ白な世界だった。靄よりも濃い霧が木々すらも覆い隠そうとしている。
 そこは人の手が届かない深遠な森だった。霊峰と呼ばれるこの山の奥深くに存在する隔絶された世界。
 昼間ですら薄暗いこの森に小さな人がけがぽつりと一つだけあった。亡霊のようにふらりふらりと前に進む様は振り子のよう。
 少女は生気の無い目をして歩いていた。黒い真珠のように澄み渡っていたはずの瞳は空虚で何も映してはいない。
――逃げられはしない……
 少女の脳内を悪鬼の形相をした男の言葉が反芻する。いや、それは鬼そのものだったのかも知れない。けれどそれは少女にとってはこの世の何よりも恐ろしいもの。
――逃げられはしない……
 深遠な森の中、鮮血は霧の中で覆い隠されていく。少女の世界そのものだった身近な者達は全て殺され、少女は生き残った。
 だがそれは、まだ幼い少女にとってこの世の地獄。
 死ぬこともままならず、少女は純白に染まった世界をただ彷徨い続ける。



 シミ一つない白い雲と蒼く澄みきった空のコントラストが美しい。だが、まるで映画のワンシーンのような、遠い光景のように思えた。 
 鳥が翼を精一杯広げ、空を自由に飛び回っている。少年は屋敷の奥にある小さな小窓からそれを眺めるだけ。
――つまらない。
 屋敷の者たちは皆、少年を畏怖し、距離を取っていた。自らの右手を手に取り、そんなにこの力が恐ろしいのかと、少年は思う。
 その力は使い方を誤れば人をも殺すほどのものだ。だからこそ、使い道もあると少年は思うのだった。
 少年は聡かった。強かった。だが、冷めていた。
 それでも完全に諦める事など出来なかった。それは絶望だから。諦めてしまえばそこで全ては終わってしまうから。
 自由を渇望する少年は今日も空飛ぶ鳥を夢見る。



 ある者は強くあり、ある者は機知に富み、ある者は明朗であり、ある者は慈愛に満ち、ある者は冷静である。
 そんな彼らの物語が始まる。彼らはよろず屋。

よろず屋奮闘記start

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