夜の帳が辺りを静かに覆い被し、街は眠りの淵にある。窓から漏れる光は深すぎる闇に吸い込まれて消えてしまっている。
 夜も更け、木々ですら眠ると言われるこの時間帯、俺の意識は不思議とはっきりしていた。体が眠りを欲しているのに、それを何者かが阻むそんな感覚も今となっては慣れてしまった。
 しばらくして枕元に置いてあった携帯電話の着メロが俺の耳元へと流れてくる。眠れない夜はいつもこうだ。必ず携帯電話が鳴る。そしてその電話の主も決まっている。
 カラフルな光を放つ携帯を手に取り、寝不足で重たい体で起き上がる。
 電話の主は決まっている。こんな時間にかけてくる非常識な――いや、かけざるを得ない状況にある人物は一人しかいない。
 緑色に光る通話ボタンを軽く押し、耳元へ携帯を当てる。
 聞こえてきたのは案の定、予想したとおりの人物だった。低くしゃがれた老婆の声に俺はただ黙って頷きを返すだけだ。
 老婆が一通りしゃべり終わると電話はいつの間にか切られている。用件だけ伝えて、すぐに電話を切られる、それがいつものことなので俺は気に留めることなく、小さく息を吐き、携帯を元あった場所へと置き直す。
 体を再び横にすると今まで溜め込んでいた分の睡魔が一気に俺を苛ます。重たい瞼を閉じながら、意識の縁で老婆の言葉が頭の中で反芻していくのだった。





第6話 潜入、姫君のパーティ





 随分と暖かくなってきた。初夏の空の色は過ぎ去った春に比べると深く澄んだ物へと変わってきた。同じように、新緑も色を濃くし、生命の輝きを存分に光放っているようにも見える。
 よろず屋と大きく書かれた幟の隣にある木陰で、野放しにされた一匹の犬……もとい狼がふぁっと退屈そうに日向ぼっこをしている。白銀の体躯は陽光に照らされ美しく輝き、ふかふかとした毛並みはとても暖かそうだ。
 こつこつと地面を叩きよろず屋に近づく足音に、ローは寝ぼけた眼を薄く開く。
「あら、いつの間にこんなワンちゃんを買ったんだろうね」
 ローに気がついたのだろう。足音の主である黒髪の女性がローに近づいてくる。歩く度に艶やかな髪が揺れ、ローは少し既視感を覚えていた。
「ふんふん、良い子ね」
 近くで見ると主人である白神とあまり年齢は変わらないらしい。ローの頭を優しく撫でるこの女性は誰かに似ている、それもそっくりというレベルにだ。
 女性が立ち上がり、よろず屋の中に入っていくのをじっと眺める。すぐにローも起き上がり、女性の跡を追いかけた。
「久しぶりね」
「あ、麗さん。お久しぶりです」
 女性の言葉に気がつき、デスクに向かって難しい顔をしていた白神がふっと表情を和らげた。麗と呼ばれた女性はふっと笑みを浮かべると片手を挙げて応じる。
「龍はいる?」
「龍君なら、多分奥で作業していると思います」
「そう」
 白神の言葉に頷くと女性はさらによろず屋の奥――本来居住空間になっているスペースに足を踏み入れようとして立ち止まる。
「どうして姉貴がここにいるんだ?」
 ちょうど作業を終えて戻ってきたのだろう。書類の入ったファイルを抱えた龍は、姉である女性――青木麗に訝しげな表情を向ける。
「いいじゃないの、せっかくの姉弟なのに……。たまには顔くらい見に来たって良いでしょ?」
「あのな、姉貴の場合、たまにじゃないよな。先週も来てたし、先々週も……」
「先週はお風呂の給湯器が壊れたからだし、先々週は弥生がうるさくてたまらなかったんだもん」
 しれっとして悪びれる様子もない麗に、龍は呆れてぐうの音も出ないらしく、小さく肩を落とすだけだった。
「それとも、こんな美人の姉の湯上がり姿を興奮しちゃった?」
「あのな。自分で美人とか言うな。それとここは俺以外にも年頃の男がいるんだから、むやみやたらにそういうことはするな。弥生さんに睨まれるこっちの身にもなってくれ……」
 日頃の文句を一気にまくしたてるが、麗は涼しい顔でふんふんと聞き流している。馬の耳に念仏を唱える以上に聴くつもりはないらしい。
「あ、そうだ、龍」
「何だよ、姉貴。依頼か?」
「汗かいちゃったからお風呂貸して」
 麗の言葉に怪訝な表情を浮かべていた龍の顔がみるみるうちにあきれ果てた様子に変わっていく。しおれた草のような表情を浮かべて、好きにしろとしか龍は言うことが出来なかった。





「ふう、すっきりしたわ」
 よろず屋の店の上、2階と3階は居住スペースとなっており、龍達よろず屋と加奈、ローがそれぞれ生活している。
 一人一人に部屋があてがわれており、2階には食事や団らんのためのリビング兼キッチンが、3階には少し広めの風呂場がそれぞれ備えられている。
 バスタオル一枚で居住空間とは言えよろず屋を闊歩する麗は鼻歌を口ずさみ、上機嫌のように見える。
「あのな、何度言ったら解るんだ? そんな格好で歩くなって」
「いいじゃん、別に。あ、それとも興奮しちゃった?」
 少し目を細め、からかうようにニヤニヤとした笑みを浮かべる麗。黙っていればスレンダーな肢体に長く艶やかな黒髪の美人なのだが、如何せんこのように龍をいじるのがもっぱらのところ最大の欠点だと龍は思う。
「いいえ、そんな格好で出歩くのはどうかと思います、麗。それと私はあなたの裸を見ても興奮しません」
「げ、弥生……」
「げ、ではありません」
 いつの間にか龍の背後に立っていた眼鏡をかけた女性が麗を鋭い目でじっと見つめている。その視線が妙に冷たいのを龍は背中越しに感じ乾いた笑みを浮かべるしかなかった。
「そもそもです。あなたはここに何をしに来たんですか?」
「ん、お仕事を頼みに……」
 じりりとバスタオル一枚の麗に迫る女性――桐生弥生はメガネをくいっと上げると、殺気にも似た声音で麗に説教を開始する。いつものことなので龍は慣れているが、さっきまで心地よさげに寝ていたローがびっくりしないかとつい考えてしまう。
 貞操がどうちゃら、はしたなさがどうちゃら、凄まじい速度と剣幕でまくし立てる弥生に麗もタジタジである。
「あの、弥生さん?」
「先に戻っておいてください」
 穏やかな口調とは裏腹の有無を言わさぬ圧力を感じ取り、龍は黙って頷くしかなかった。普段は物静かな弥生だが、麗の説教をするときだけは誰にも止められない。あの空気を読まない赤羽ですら、弥生の只ならぬ剣幕にビビって近づけなかったほどだ。
「どこへ行くのですか、麗?」
 弥生が龍に顔を向けた隙を見計らって、麗はそっと足を忍ばせ、こっそりその場を離れようとする。しかし、それを見逃すほど弥生は甘くはない。ふわりと体を翻し、麗の肩をがっしりと掴む。
「湯冷めしちゃ、ダメだよね。あははは……」
「むしろ風邪でも引いて、少しは反省したらどうですか?」
 乾いた笑みで弥生をかわそうとするが、むしろ逆効果だったようで、冷たく返される。逃げようとしたことが火に油を注いだ結果となって、麗に対する説教は更に長くなった。
 触らぬ神に祟りなし。龍は足早にその場を立ち去り、心の中で大きなため息をつくのだった。





 約30分後、弥生に引き連れられて麗は戻ってきた。あれだけ説教をされたというのに、けろっとしているところを見るといつものことなのかと呆れてしまう。
「で、姉貴。仕事って何だよ?」
 白神がお茶の入ったコップを麗と弥生の前に置いていくのを横目で追いながら、龍は訊ねる。龍の後では何やら笑い声を上げている赤羽と創がいるが敢えて無視する。説教をしていたらまた話が進まない。
「その前に、黒沢君は?」
「ああ、あいつなら用事があるからいない」
 龍の言葉に麗は、そう……とだけ答え、一瞬がっかりした様子を見せる。
「改めて、仕事って何だ?」
「そうね。これは私個人の依頼というよりは、頼まれた仕事の一つを手伝って欲しいと言った方が正しいわね」
 先程までのふざけた様子とは一転して、麗はバランス良く整った顔を少ししかめ、表情を厳しいものへと変えていた。
「今日の晩、高洲の政治、経済界といった大物が数多く揃うパーティが開かれるの。もちろん私も参加するんだけど、ちょっときな臭い情報を聴いてね……」
「きな臭い情報?」
「穏健派で知られる有名な方が狙われているらしいの。普段はあんまり表舞台に出ない人だからパーティで刺客が現れる可能性が高いのよね」
 普段は警備が厳重だし、隙があるならそこしかないからねと付け足し、麗は目の前にかかった髪をはらりと払う。
「それで俺らには……、その重要人物を護衛しろと?」
「ううん、違うわ」
 龍の言葉を素早く否定する。麗が弥生を一瞥すると、黙ってコクリと首を縦に振り、弥生はその場から姿を消す。
「あれ、弥生さんは〜?」
「先に行ったわ。あんまり時間がないからね」
「それってまさか……」
 麗の言葉に龍が唖然とした表情を浮かべて、すぐに顔をしかめる。龍の様子など気にも留めず、立ち上がった麗は来ていた上着を勢いよく脱ぎ捨てる。
「行くわよ。パーティは今日の午後7時からなんだから」
 薔薇を彷彿させる深紅のドレスを身に纏った麗はどこか色っぽい笑みを浮かべ、片手を挙げる。
「私のサポート、よろしくね」
 そう言ってドレスのスカートの裾をつまみ、持ち上げる麗は、どこからどう見ても育ちの良い上流階級のご息女にしか見えない。赤羽だけでなく創や白神もいつもと違う可憐な姿に思わず息を飲み込む。
 それじゃあねといつものように気さくな笑みで片手を振る仕草だけが、どこか異国の姫君のような衣装と麗の性格の奇妙なギャップを醸し出していた。
「行っちゃったぞ、おい……」
「さ〜て、僕らも行きますか」
 唖然とする赤羽と白神をよそに、創はノートパソコンを閉じる。龍に意味ありげな視線を投げかけると、立ち上がり、側にあったカードを手に取る。
「おい、どこ行くんだよ?」
「ちょっと買い物〜」
 飛び跳ねるように駆けていく創を、龍は慌てて追いかける。あっという間に姿を消していく麗や弥生、そして創に赤羽や白神は戸惑い、その場にただ立ち尽くしているしかなかった。
「…………どこ行ったのかな?」
「……わからんぜ」
 依頼を受けたのは良いが何をすればいいのか解らない白神は隣でぼけっとしている赤羽を一瞥して、ただ深いため息をつくしかなかった。





 周りを見渡すと、色彩豊かな光景は目を刺激する。透明なガラスを通り抜けて反射する暖かな光。豪華絢爛とも言うべきシャンデリアや、飾られた高級な装飾品。目に付くのは一流のシェフが腕によりをかけて作った色彩豊かな料理の数々。そして慌ただしく動く黒服のウェイターや、ドレスに身を包んだ麗人。
 パーティに行けと急に言われたのはいつものことなので気にはしていない。だが、ここまで大規模なものは初めてだ。
(全く、うちの祖母さんは…………)
 黒沢は顔に出さず、心の中で小さくため息をつく。夜中に電話をかけてきて、いきなりパーティに出ろと言われれば当然ではある。
「あの……、どこか具合でも……悪いんですか?」
「ん?」
 気がつくと、目の前に小柄な少女が心配そうに黒沢を見つめていた。ハーフだろうか、染色でない金髪には不釣り合いの日本人らしい顔立ちをしている。まだあどけなさの残る出で立ちで、歳は黒沢よりも一つか二つ年下と言ったところか。世間をあまり知らない名家のお嬢様、と言う表現が一番しっくりくる。
「あ、ああ、大丈夫だ」
「それなら良かったです。ちょっと気分が優れていないように見えたので」
 人好きのする笑みを浮かべて、少女はほっと胸をなで下ろす。改めて少女を黒沢は自然に観察する。
 仕草やちょっとした所作から育ちの良さが伺える。かと言って、上流階級特有の人を見下すような部分もなく、気分が悪くなることもない。
「あ、もしかして、あんまりパーティに参加したくなかったんですか?」
 少し声音を落として、少女がいたずらっ子の様に微笑んだ。場違いかも知れないが、黒沢はふっと苦笑いを浮かべながら小さく頷いた。
「まあ、な」
「私も昔はそうだったんで、よくわかります。小さい子って中々いないから」
「そうだな」
 少女の言葉に頷き、黒沢は自らの少年時代と重ね合わせる。出たくもないのに上流階級のつまらないパーティに参加させられ、聴きたくもない世辞を聴かされる。それがたまらなく苦痛だった。
「やだ、私。少しおしゃべりが過ぎたようですね……」
「いや、楽しかったから大丈夫だ」
 ごめんなさいと小さく謝る少女を宥めて黒沢は小さく微笑む。こんなパーティで楽しかったのは久々だ。
「あ、そういえば貴方の聞いてませんでしたね。良かったら教えてもらえませんか?」
「黒沢大吾。君は?」
「藤崎エレナです」
 それでは私は失礼しますねと丁寧に挨拶をして、少女――エレナはその場を離れ、オードブルの置かれた方へ消えてしまった。黒沢は手元に置いてあったワインをぐっと飲み干すと、辺りを見渡し、歩き出そうとした。
「あれ、黒沢君じゃないの?」
 不意に背後から声をかけられて黒沢は振り返った。染み一つない紅のドレスに身を包んだ女性が優しげな笑みを浮かべて佇んでいる。見覚えがある面立ちだ。
「麗さん、どうしてここに?」
「私もパーティに招待されたの」
 招待状をひらひらと目の前に持ってきて、揺らす。気さくな声音とは裏腹に麗はどこか緊張感を孕んでいた。
「何だ、用事って言ってたけど、これのことだったんだ」
「ちょっと祖母に出ろと言われましてね」
 いないものだと思っていたからびっくりしたと呟き、麗は表情を引き締めた。そして耳元で黒沢にだけ聞こえるように呟く。
「やっぱ、あの人まだ健在なんだね」
「ええ」
「そっか……」
 麗はウェイターから血のように濃い色のワインを受け取り、二つ受け取ったうちの一つを黒沢に差し出す。
「ありがとうございます」
 麗からワインを受け取り、口元に持って行く。ワイン独特の香りを楽しみながら、黒沢はふとワインを持ってきたウェイターに目が行った。
 スーツと言うべきか、びしっと決まった格好ではあるが、その後ろ姿は明らかに黒沢が知るものだ。
「まさか……龍、だと?」
「あ、ちょっとよろしいですか?」
 目を剥いたままの黒沢に、高く幼げな声が向けられる。ひらりと浮くドレスが目に入り、黒沢は顔を少女と思しき声の主へと向ける。
「貴方が黒沢大吾ですね?」
「あ、ああ」
 目を見開き、黒沢は目の前に佇む淡い水色のドレスを身に纏った少女――いや、少年を凝視する。
「はじめまして、創堂テンと申します」
 明らかに創と思しき、女装の少年を怪しく思う黒沢。探りを入れるような目線に少年はウィンクを返してくる。
(いや〜、しかし、一発でばれたね〜)
(流石に俺じゃないと女でないとすらばれないだろうがな)
 目線だけで会話をして、女装の少年――創を丁重に扱う。女装は黒沢ですら危うく見逃すほど巧妙、なおかつ創は完全に年相応の少女になりきっている。パーティに参加するのも身分詐称、偽造といった様々な方法を用いているようだ。
「こちらこそよろしくお願いします」
 黒沢は敢えて芝居を打ちながら、丁重に創を扱う。その様子を麗は、少し含み笑いをしながら、側でじっと見つめている。
「おっと、そろそろ時間ですね。また、後でお会いできるのを楽しみにしています」
「ええ、こちらこそ」
 黒沢の目を一瞥して、いたずらっ子そのものの表情で小さく笑みを浮かべた創はスカートの裾をつまみ、少し上げると、ぺこりと頭を下げる。そのまま、去っていく創をぼんやり眺めながら黒沢は横目に、会場の中心にある段差を老人が登っていくのに気がついた。
 いつの間にか、いなくなっていた麗を目だけで探しながら黒沢は少し心の中で再びため息をつくのだった。





 高層ビルが立ち並ぶ、高洲市の中心部。見上げる高層ビルはまるで天にまでそびえる巨大な摩天楼だ。夜闇を切り裂くそれは街の光を受け、淡く幻想的な光を放っている。
「あー、腹減った。いいよな、龍とか創はうまい飯食えて」
「あのね、赤羽君。龍君達、何も食べていないと思うよ?」
 パーティ会場である高層ビルにほど近い場所で赤羽はバイクに寄りかかり、ぶつぶつと文句をたれている。そんな赤羽を見かねて、白神は持ってきた弁当を手渡しながら、宥めることにする。
「何でだ?」
「だって龍君は、あくまでも使用人のふりをして入ったから、料理に手を付けられないもん。それに毒が入っているかも知れないし……」
「な、なるほどな…………」
 白神の言葉に感心しきりの赤羽。一方であっという間に白神の手渡した弁当を完食し、今度はヤカンを取り出し、自らの火でお湯を沸かすという荒技を披露しはじめた。
「食べ過ぎて動けないようにだけはならないでね」
 ぱくりと一口サイズのおにぎりを頬張りながら、白神はカップラーメンを取り出す赤羽を苦笑いを浮かべて見ることしかできなかった。
「って聞いてないね……」
 ずるずると麺をすする赤羽に白神の声は届かない。諦めたようにふうっとため息をつこうとして、白神は閉じかけた目を見開いた。
「何か来る……!」
「ち、せっかく人がラーメン食ってるのに」
 高層ビルの周りにあちこち潜む人影を一瞥して、赤羽と白神はゆっくりと立ち上がる。
「悪いがこの先は進ませるわけにはいかないな」
「あ?」
 こちらに向かってくる一人の偉丈夫が刀を、そして銃を雷光の如く抜き放つ。
「まずい……」
 とっさに赤羽を突き飛ばし、白神はさっきまで赤羽の立っていた場所に放たれた白銀の閃光に戦慄を覚える。斬激が見えなかった。視力の良い白神ですら見えなかったのだ。この偉丈夫はかなりの使い手、白神の本能がそう告げていた。
「危ねぇな、おい」
 炎を刀のような形状に生成し、偉丈夫に斬りかかる。それを逡巡するまでもなく偉丈夫は赤羽の刃を受け止め、いとも簡単に弾いてしまう。
「赤羽君!」
「よそ見をしている暇はないぞ」
 嵐のように浴びせられる銃弾をすれすれでかわしながら、反撃のチャンスを窺う。
「どけや、ブレイズ……」
「邪魔だ」
 背後から腕全体を炎で覆った赤羽が迫る。神速の刀裁き、白銀の閃光が赤羽の体を切り裂き、鮮血が真っ赤な大輪の花を咲かせた。
「あ、赤羽君……!」
「これで動けまい」
 その場を離れようとする偉丈夫を一瞥する白神。青白く光る刀に奇妙な感情を抱きながらも、偉丈夫に強い視線を送る。
「あなたは、一体…………」
「私は、白竜。それだけだ」
 白神の言葉に手短に答えた偉丈夫――白竜は振り返ることなく立ち去っていく。小さくなる白竜の姿をじっと眺めながら白神は強く拳を握るしかなかった。
 すぐに赤羽の側に行き、治療を開始する。豪快に切られてはいるが、幸い急所は外れており、止血さえすれば命に別状はなさそうだ。意識を集中させ、白神は治癒を開始する。暖かさを含んだ白い光が傷口に当てられるとみるみるうちに傷口が塞がっていき、跡形もなく消え去っていく。
 どうやら手加減されていたらしい。急所を完全に外した斬激、そして治癒しやすいように綺麗に切られたその技術。やはり白竜という男はただ者ではないらしい。
「ぐっ、まずったぜ……」
「まだ動けないよ。治療をしてる途中だし、動くには出血が多すぎるよ」
 大量の出血で顔が青ざめているのにも関わらず動こうとする赤羽を諫めながら、白神はかざす掌に力を込めていく。
「大丈夫?」
「あ、ああ……。助かったぜ……」
 治癒を終えた白神は、ふうっと一息つくと、だるそうに横になっている赤羽の額の汗をそっと拭う。出血による強烈な疲労感に見舞われた赤羽は重い瞼をゆっくりと降ろしてしまう。
「全く、無茶するんだから……」
 静かな寝息を立てる赤羽を呆れた様に、それでいてほっとした様子で見守る白神の耳に、夜の闇すらも轟かす炸裂音が突き抜ける。
「えっ、何……」
 目の前にそびえ立つ高層ビルの中腹から赤い火柱が立ち上り、暗い闇を覆うようにどんよりとした鼠色の煙が天へと上っていく。白神は水晶のように澄んだ瞳に感覚を集中させていく。
「まずいよ、龍君、創君……」
 勢いを増し、さらに赤く燃えさかる炎をじっと見つめながら白神は小さく呟き、ぎゅっと両手をくんだ。





 シャンデリアの光をあちこちに反射させる程の揺れと何かが爆ぜる音が辺りを震撼させる。ざわめく観衆を必死に諫めようとする係員達でさえ戸惑いを隠しきれないようだ。
 麗と弥生が動いたのを視界の隅で確認すると同時に、龍と創も動き出す。
 とその時だった。がしゃんという音と共に明かりという明かりが全て消えてしまい、辺りは一瞬で暗闇包まれる。幸い、非常電源が作動して、すぐに明かりが点るが、すぐさま避難するように指示が出される。
「そこの方、早く……」
「あら、私は最後の方でも大丈夫ですよ」
 そう言うと少女――いや、創は纏っていたドレスを風のようになぎ払うと、その場から消えてしまう。龍はほとんどの参加者が避難したのを確認すると、弥生を伴って逃げる本当の依頼人を一瞥して、目の前に現れた者達に鋭い視線で牽制する。
「やはり、龍か」
「黒沢、何故お前が……」
 龍の喫驚した表情に、黒沢は首を横に振り、それは後でだ、と小さく呟く。迫り来る刺客を次々と漆黒の爪で引き裂きながら、黒沢は追撃を行おうとする刺客達を防ぐように立ちはだかり、仁王の如き戦いを見せている。
「邪魔だ」
 龍も四方を囲む刺客を流れるように続けざまに切り裂いていく。黒竜の牙が妖しく光る。続けざまに龍が放った斬激は水のように変幻自在で多くの敵を倒していく。
「これで一段……、ではないか」
 ぱんぱんとグローブを付けたまま手を払う黒沢の前に刀が一直線に飛んでくる。瞬時に爪を生成し、一振りで弾き飛ばし、黒沢は顔を歪めた。
「まさかお前か、絵利」
「お前の相手はあいつだけではないんだよ」
 背後から殺気を感じると同時に屈んだ黒沢の頭上を大木と呼べる程の太さの棍棒が通り過ぎていく。黒沢は足崩しの回し蹴りをするが、大岩のような衝撃と共に、反動を用いて距離を取る。
「邪魔をしないで、権藤」
「おい、お前だけじゃ刃が立たないだろ、それをわかってんのか?」
「黒沢大吾は私が殺す。アンタに協力したのはそれだけよ」
 小柄な少女がぎらりと殺気を揺らしながら、黒沢をじっと凝視する。その手には少女の出で立ちとは似ても似合わない小太刀が握られている。
「黒沢、大丈夫か」
 援護に駆けつけようとした龍の前に一瞬の閃光が走り抜ける。刀と刀が交錯し、にらみ合いが続く。
「お前は、前に黒沢が戦った……」
「邪魔だ」
 無理矢理間合いを取った龍に音もなく切り込んでくるアサシンマスター。流れるような太刀筋で斬激をいなしながら、龍は体勢を立て直そうと思案する。
「銀守閣」
 体勢を崩されかけた龍を守るようにワイヤーの防壁が貼られていく。ワイヤーを体に纏っていた創がにやりと不気味な笑みを浮かべながら、アサシンマスターに切迫する。
「消えろ」
「嫌だね」
 アサシンマスターの鋭い斬激をスライディングでかわし、腕だけを使って体の向きを調整し、肉薄する。蹴りと共に、創はワイヤーを使い、天井へと跳び上がり、アサシンマスターの斬激を身軽によけてしまう。
 着地すると同時に権藤に向けて素早く発砲。手に持っている棍棒の動きをワイヤーとのコンビネーションで封じていく。
「どけ」
「ちっ、このガキが……!」
 黒沢の拳打を全て受け止めながら、権藤はいらついた表情を浮かべる。岩ですら一撃で破壊する黒沢の拳打に対して驚異的な硬度を誇る権藤に龍は驚きを隠せなかった。
「よそ見をしている暇は、ない!」
 アサシンマスターの斬激をかわして、斬りかかるという剣技と剣技の戦いは拮抗していた。かなりの実力者同士、お互いがお互いを攻めきれずにいた。
「デカブツが邪魔なんだよ!」
 権藤の拳打を受け止めつつ、黒沢は回し蹴りと拳打というごり押しにかかっていた。
「死ね、黒沢大吾」
「うるさい。黙れ、絵利」
 権藤の拳を右腕で、絵利の小太刀を左手で受け止め、黒沢は体に力を込める。
「俺の道を防ぐ奴は、何人たりとも容赦はしない。例え、お前であろうとな」
 禍々しい黒いオーラと共に両腕に爪が形成される。だが、それはすぐに黒いオーラとなり、そして黒沢の右腕に収束されていく。
「……破壊の右腕」
 右腕の力だけで権藤はなぎ払い、さらに絵利に掌底を放ち、紙くずのように吹き飛ばす。何とか受け身を取ることは出来た絵利だが、衝撃は大きくまともに動くことが出来ない。
「どけや、てめぇ!」
「邪魔だ。失せろ」
 背後から棍棒を振りかざす権藤を振り返ることなく、右腕だけをひねり、棍棒を粉砕する。
「やはり、その力――魔術の腕は、あいつを……!」
「否定はしない」
 茫然自失といった表情の権藤の僅かな隙を見逃すはずもなく、右腕を素早く回転させ、がら空きの体に拳打を突き入れる。先程までびくともしなかった権藤の巨体を吹き飛ばし、壁にのめり込ます。がぁっと奇妙な呻き声を上げて、権藤はそのまま地に伏せてしまった。
「タイムオーバー、か……」
 龍への攻撃を中止し、その場から姿を消すアサシンマスター。気を失っている権藤の重い肉体を軽々と持ち上げると、絵利を一瞥してその場から消える。
 よれよれとした状態ながらも立ち上がった絵利は黒沢の無表情な瞳を、歯を食いしばりながら強い憎しみの表情を浮かべたまま睨み付ける。
「いつか、あなたを殺す」
「…………好きにしろ」
 黒沢の素っ気ない言葉に無言のまま、奥歯を噛みしめ、絵利はその場を後にする。声をかけようとする創に龍は首を横に振り、無言で諫める。
 ただ絵利が消えた場所を見つめる黒沢の右手には心なしか力が込められていた。





 高層ビルの屋上、夜の夜景の静けさとは対照的な燃えさかる音が地の底から聞こえてくるようだ。何とかパーティの参加者の避難も終了したようで、麗はほっと一息つこうとしていた。隣には弥生と依頼人である老人が最後の救助ヘリを待っている。
「弥生、先に行って」
「ですが……」
 すぐそこまで来ているヘリコプターを一瞥して、弥生が少し困惑したような表情を浮かべる。
「ほら、龍のこともあるしね。そっちも気になるし……」
「ですが、麗」
「いいからいいから。弥生は自分の役割をきっちり果たしてちょうだい」
 麗の有無を言わさぬ口調に弥生はしぶしぶ頷くと老人を促し、ヘリへと乗り込んでいく。じゃあ、後でねといつもの気さくな笑みを浮かべて、麗はその場を去っていくヘリをじっと眺める。
「あなたが来るとは意外ね。世の中案外狭いのね、白竜」
「お久しぶりです、……お嬢様、いえ、双剣の姫君とお呼びした方がよろしいですかな?」
 麗は美月、桜華と呼ばれる2本の刀をそれぞれ取り出すと、白竜に向けて切っ先を解き放つ。
「単刀直入に聞くわ。貴方はどうしてここにいる?」
「私の目的の邪魔となる者には消えてもらわなければなりませぬ。邪魔をするなら、双剣の姫君とて容赦はしませんぞ」
 白竜も手元の鞘から、まるで処女雪のような純白の刀身を持つ刀を抜き放つ。
「白竜の牙。つくづく厄介ね」
「引いてはもらえませんかな?」
「いやね」
 美月と桜華をそれぞれ構えながら麗は間合いをじっくりと取り始める。対する白竜は刀こそ抜いたものの、刃はまだ麗には向けてはいない。
「ふむ……。一戦を交えようと思いましたが、どうやら時間のようだ。今回は貴女の粘り勝ちですな」
「あら、戦う気がさらさらなかったんじゃないの?」
 おどけた声音とは対照的に麗の表情は未だに緊迫したものだった。油断をすれば殺される。そんな極限の緊張感が辺りを漂っていた。
「さあ、どうでしょうな?」
 白竜はそれだけ口に出すと、そのまま姿を消してしまった。麗は白竜の佇んでいた場所をじっと見つめながら、少し寂しそうに目を細めた。

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