ぴりぴりと肌が痛く感じるほどの緊張感が辺りを漂っている。薄暗い黒幕の下で覆われた広間に何人もの人影がうっすらと確認できる。
 その光景は異様なものだった。性別も年齢も素性もバラバラな者達が一様に片膝を地面につき、一人の男に向けて頭を深々と下げている。
「……では、次の獲物は、例のものだ。いいな……」
 年配の男の低く威圧感のある声が周囲に重々しく響き渡る。その言葉に一斉にその場にいる者達は一斉に「はっ」と頷く。
「……詳しいことは、いつものように四条に任せる」
 それだけ言うと、男は頭を垂れている者達を一瞥することもなく、すぐにその場を立ち去ってしまう。
 重々しかった緊張感が少しだけ晴れて、場の雰囲気がどこからともなく落ち着きを見せはじめた。
「具体的な作戦ですが。アサシンマスターと来栖さんにお任せすることにしましょう。後、白雪さんにはバックアップをお願いします」
 眼鏡をかけた細身の神経質そうな男が、無表情のままその場に静止する男とその側で妖艶な笑みを浮かべる若い女を一瞥する。さらにその二人の後で未だに頭を下げたままの白銀の髪の少女にも視線を移す。
「今回は何をするの、し・じょ・う・さ・ん?」
 妖艶な笑みを浮かべたまま、四条と呼ばれた男にすり寄り、そっと体を寄せ付ける女。
「無駄口を叩いている暇があるなら、少しはいかに任務を達成するかを考えてはどうですか、来栖さん」
 来栖と呼ばれた女に冷たく四条は言い放つ。女は四条の言葉に体を離し、つまらなさそうに口先をすぼめる。
「四条、早く言え」
 しびれを切らしたのか今まで無表情で沈黙を貫いていた男が、少し不快そうに顔を歪めて四条を睨み付ける。男の視線を受け流した四条は、それもそうですねと頷き、口を開く。
「今回の任務は、京極家の秘宝を奪うというものです」
「京極ってまさか……」
「来栖さんの想像通り、この地域、有数の名家、京極家のことです」
 女が驚いたように目を見開く。そして、四条の顔をなめるようにじっと伺う。
「私にも今回、ボスが何を考えておられるのか解りませんが……。とりあえず極めて重要な任務であるということには間違いないでしょう」
「当然だ。この『赤い風』の八闘将を出させるのだからな」
「は、白竜……。何でアンタまでここにいるのよ」
「キエラ。今回の任務、重いぞ」
 女――来栖キエラは独特の威圧感を放つ偉丈夫に目を遣り、怪訝そうに目を細めた。白竜と呼ばれた偉丈夫の男は、キエラの言葉に答えることなく、四条を一瞥する。
「四条」
「ええ。では、三人は今晩には動いてもらうことになります。ちょうど、輸送しているところを狙うことになります」
「わかったわ」
 キエラは少し不機嫌そうに頷く。後にいる男と少女も黙って、四条の言葉に首を縦に振る。
「では。私はこれにて」
 四条が小さく一礼すると、足早にその場を立ち去っていく。その後を白竜が続いていく。キエラは憮然としたままのアサシンマスターと白雪を見ることなく深いため息をついた。





第4話 絶叫、地獄のカーチェイス





 外の天気はあまり良くないらしい。太陽の光がないため、室内についた蛍光灯が普段よりまぶしく感じた。
 どんよりとした鼠色の雲が龍の視界に入る。あんまり、良い気分ではないな、そんなことを考えながら、龍は隣でパソコンに向かう創を一瞥しようとして、不意に目を留めた。
「あ、お前、またネトゲしようとしてるだろ」
「えっ、そ、そんなことは、な、ないよ〜」
 龍の鋭い指摘に創がどきりと肩を振るわす。慌てて否定するが、声が震えていて一目瞭然だ。
「ちょっと見せろ」
「あ〜〜〜」
 龍が創のパソコンをのぞき込むと、そこにはファンシーなデザインで様々なパラメーターやらキャラクターの顔やら吹き出しやらが画面いっぱいに描かれていた。
「創……」
「だ、だって。退屈なんだもん…………」
「ちょっとは仕事をしろって言っただろ」
 何故か涙目になり、小動物的なつぶらな瞳で龍を見つめる。だが、そんなことでは龍は籠絡できなかった。眉間には皺が寄り、今にも説教が噴出する寸前だ。
「相変わらず、生真面目な奴だな、龍」
「ん?」
 龍は聞き慣れない声に訝しげに顔を上げて、辺りを見回す。そして、思わぬ来客にぎょっと目を見開く。
「孝彦、何でお前が……」
 龍は厳つい強面の護衛と思しき偉丈夫を2人従えた青年を一瞥し、すっとその場から立ち上がる。
「全く、客として来てやったのに、ここは茶も出ないのか、龍」
 孝彦と呼ばれた青年は少し不機嫌そうに龍の顔を見つめる。
「その態度で来られたら、こっちも出したくなくなろうが……」
 呆れたように龍は悪びれもなく言う青年をきりりと睨み付ける。龍の不遜とも取れる態度に後の護衛の体がぴくり震える。
「ははは、すまないな。ちょっとからかってみただけだ」
 愉快そうに笑う青年は後でぷるぷると体を震わせる護衛の肩をぽんぽんと叩いて、耳元で何やら呟く。
「しかし、今や、京極の当主として名高いお前が良くこんな場所まで来れたな」
「まあ、ちょっとお前に頼みたいことがあって……な?」
 そう言うと京極家当主、京極孝彦は後で控える護衛に部屋を出るように改めて指示を出した。有無を言わさぬその態度に護衛達はしぶしぶ部屋を立ち去る。とそこへちょうど入れ違いに、大きな袋を抱えた黒沢と買い物袋をぶら下げた白神が入ってきた。
「ただいま。あら、お客さん?」
「だろうな」
 孝彦を見て、白神と黒沢は交互に頷く。白神は買い物袋を黒沢に渡すと、自身は急いでどこかへと急ぎ足で去っていく。
「さて、そこでこっそり脱走しようとしている創。どこへ行くつもりだ」
 龍は黒沢に先に荷物を置いてくるように目配せすると、どさくさに紛れてそっと部屋を出て行こうとする創の襟首を掴む。
「え、そ、それは寺川のおじさんに呼ばれていたのを急に思いだし……」
「嘘はいい」
 がしりと創の肩を引き寄せ、龍はぎろりと創の目を睨み付ける。
「あの、えっと、その…………」
「ははは、昔から変わらないな、その生真面目さは」
 孝彦は龍と創のやりとりを見ながら、そう感慨深そうに笑って呟く。その表情が少し寂しげだったのを、龍は見逃さなかった。
「創、とにかく今はおとなしくしてろ」
「はぁ……。わかったよ」
 龍に諭されて、創は近くのソファに体を預ける。それを一瞥して、龍は孝彦と向かい合うように反対側に座り、表情を引き締める。
「で、何のようなんだ?」
「それはだ……」
 孝彦も龍と同様、いや、龍以上に顔を引き締め、名家の当主としての顔で、こう言った。
「とある品を無事目的地まで護送して欲しい」





「あれ、お前さん達もいたのか?」
「あ、大塚警部だ〜」
 孝彦に連れられてやってきたのは京極家の私有地の一つだった。別荘と思しき建物が建ち並び、中には古い建物もいくつかある。よろず屋の知り合いでもある大塚警部は今回は輸送の護衛を務める警官の責任者でここにやってきたらしい。
「へぇ、凄いね」
「まあ、京極って言うのはこの辺りで一番の名家だからな。皇族も繋がりがある由緒正しき家柄だったはずだ」
 白神が感心したように辺りを見回している横では、黒沢が白神に京極の家についての解説をしている。
「でも、龍君はどうしてそんな凄い人と知り合いなのかな?」
「さあな、本人に聞いてみればいいんじゃないか?」
 黒沢は素っ気なく首を横に振る。白神は特に気にする様子もなく、笑顔でそうだねと頷き返すだけだ。
「しっかし、どうしてまあ、お前さん達もいるのかね?」
 たばこに火を付けながら、大塚は白神と黒沢のもとへとやってくる。
「まあ、依頼の内容から言えば十分警察だけでいけるものをわざわざ俺達まで呼んで。何かあるとしか思えないが……」
「確かにそうですね」
「実はな、ある筋から京極の品物を輸送途中に狙っている輩がいるという情報を聞いてな」
 大塚は声のトーンを落とし、2人の耳元で小さく囁く。あまり他の人間には聴かれたくないらしい。
「だが、その情報源が正しいとは限らないだろ」
「その情報源ならある程度は信頼できる口からみたいだよ」
「そ、創君」
 いつの間に隣に来ていたのだろうか、ノートパソコンを膝に置き、高速でキーボードを叩きはじめた創が白神達を見上げる。
「そう言えば龍君は?」
「龍なら、向こうで京極さんとずっと話し合ってるよ」
 創は屋敷の手前で何やらしきりに話し込んでいる龍と孝彦を指さす。どうやら真剣に話し込んでいるらしく2人の表情は引き締まったままだ。
「まあ、もうそろそろ時間だからな。あの2人の話も終わるんじゃないか?」
 腕時計で時刻を確認して、大塚は茜色に染まりつつある空を見上げる。予定では日没直前の午後6時に出発予定だ。
「っと、噂をすれば」
「そうね」
 龍が孝彦との話し合いを終えて、戻ってくる。その手にはいつもは所持していないはずの黒竜の牙の刀身が既に揺らめいている。
「行くぞ。俺達は先遣隊だ」
「オッケ〜〜〜!」
「了解です、龍君」
「わかった」
 龍の言葉に、創、白神、黒沢が各々頷く。
「気をつけて行けよ」
「おじさんこそね」
 大塚はぐっと親指を立てて、人好きのする笑みを浮かべた。創の言葉に馬鹿野郎と笑って答え、そのまま動き始めた龍達を一瞥する。茜色に濃紺の色を帯び始めた空が静かに夜の訪れを告げていた。





 先程まで広がっていた茜色はすっかり消えてしまい、空の色はどんどんと濃紺へとその色を移している。高洲市北にある幹線道路、近くにある高速道路のせいもあり、車の数はあまり多くない。また、くねくねと山の中を通過するため、急カーブが多い場所としても有名な場所だ。
 龍の運転するワゴンには、助手席に白神、二列目には黒沢、三列目に創がそれぞれ座っている。龍達の役目は後を走る護送車から離れての先遣隊の役目だった。怪しい影がないかなどをチェックするのだ。
 そのはずなのだが、後からは何かげらげらと笑い声が聞こえる。原因は、もちろん、創だ。相変わらずノートパソコンを開いていて、遊んでいるようだ。
「ねえ、龍君」
「ん?」
 ぴきりと青筋を立てていた龍におずおずと白神が声をかける。白神の言葉に、龍は表情を和らげ、白神を一瞥する。
「どうしたんだ、理恵?」
「京極さんとはどういう関係なの? 今までの感じを見ていたら、昔からの知り合いなのかなって」
「ああ、小さい頃からの付き合いだ。青木と京極は家単位で結構付き合いがあったからな」
 龍が青木という言葉を発するときに少し憎々しげに顔を歪めたのを、白神は見逃さなかった。
「何故か知らないが、俺と孝彦は気があってな、いつも一緒に遊んでいた。京極の家では次期当主として仰々しく扱われていたみたいだし、友人が少なかったんだ」
「じゃあ、言ったら幼馴染みって感じかな?」
「まあ、そんな感じだな。打算抜きで付き合える少ない友人だ」
 今まで結構やばいことがあってもほとんど俺を頼ろうとしなかった奴だしな、と小さく呟き、龍は表情を再び引き締める。そんな龍の横顔をぼんやりと白神は見つめながら、2人の間にある何かに思いを馳せていた。
「龍、何か後から怪しい奴がさっきからついてきてるよ」
 先程までの笑い声と打って変わって創の静かな声が緊張感を帯びた車内に響く。と同時に、ぴきりとどこかに何かがのめり込む音がする。
「まさか……」
 白神が慌てて、サイドミラーをのぞき込むと、後から黒塗りの車がぴたりと張り付いてきており、さらに助手席からはライフルのような物を構えた黒服の男がこちらを狙っていた。
「やってくれるじゃない。細切れにしてあげるよ」
「いや、創。ここは奴らを巻くと見せかけて、後から放すぞ」
 黒沢の冷静な言葉に龍も頷く。創はちぇっと言いながらも、ポシェットから小さな拳銃を取り出し、鋭く目を光らせる。
「創、黒沢、奴らの牽制を頼む」
「わかったよ」
「任せろ」
 創は銃を持ったまま、ワゴンの屋根に取り付けられている窓を開けると、そこから顔を出し、にこりと可愛らしい笑みを浮かべた。一方、黒沢は何やら呟くと、右手から黒いオーラが吹き出し、瞬く間に腕全体を覆い尽くしていく。
「理恵は赤羽に連絡を。どうもあのバカの力がいるような気がしてな」
「わかったよ、龍君」
 龍の言葉に白神は静かに頷くと、ポケットから携帯を取り出した。龍はそれを確認するとハンドルを握る力を少し強めた。





「エッジアロウ!」
 漆黒の爪が後の車の足下を次々と狙っていく。それをかわして、龍達を追いかけてくるのだが、龍も必死にハンドルを切り、懸命に追いつかれないようにハンドルを回している。
「しつこいなぁ。もう!」
 狙いを定め、創はスナイパーの男を狙うのだが、相手の激しい動きに的は次々と外されていく。しかも、相手も正確無比な射撃で創を狙ってくるので、ワイヤーを用いての防御も激しさを増していた。
「龍、まだなのか。これ以上はあまり持たないぞ」
「いや、すぐそこだ。あと少し、耐えてくれ」
 龍の言葉に黒沢は無言で頷き、右腕に力と魔力を込めていく。
「理恵、すぐ降りる準備をしておいてくれ」
「うん、わかった」
 外で行われる激しい撃ち合いを見つめながら、白神はちいさく答える。不意に視界が開け、ちょうど広場のような場所が現れる。
「振り切るぞ!」
 左にハンドルを精一杯回して龍は叫ぶ。黒沢が全ての爪を一斉に射撃し、体を車内に戻すと同時に、創も何かを放り投げ、体を引っ込める。
 その直後、強烈な炸裂音が辺りに響き渡り、何かが盛んに燃える音が耳をついた。
「ふぅ。危機一髪ってところだね」
 創は手榴弾の安全ピンをいじりながらぽつりと呟く。
「全く……。無茶するな……」
 急ブレーキをかけて車を止め、呆れたような表情を浮かべた。緊張感からか額には大量の汗が浮かんでいた。
「龍君、まだ何か来るよ」
 何かに気がついたのか、白神が表情をこわばらせた。その言葉に創と黒沢はとっさに車から飛び出し、それぞれ構える。
「あーあ、さっきの、結局役立たずだったわね」
 月の光に照らされて妖艶な笑みを浮かべた女が現れる。どことなく甘ったるい香りに、白神と共に車を出た龍は顔をしかめた。
「あ、この匂いは……。まずい」
 白神が慌てて創と黒沢の側に行き、創と黒沢の頬に鋭い平手を放つ。ぱちんと創の頬からいい音が響き、創の顔がはっとなる。黒沢はと言うと、白神の手を受け止め、大丈夫だと目配せをする。
「あーら、あれが効かないのね。久しぶりに楽しませてくれそうね」
 女は愉快そうにケラケラと笑みを浮かべる。その笑みはとても妖艶ではあったが、ぞくりとするほど冷たいものだった。
「うかつに近づけそうにないな」
 龍はすでに刀をいつでも抜刀できるように構えながら、白神や黒沢と対峙している女を一瞥する。
「まるで、そう……ぐっ!」
 風が吹き、金属と金属がぶつかり合う鋭い音が響く。瞬時に抜刀した龍と表情を変えないまま刀を交える男の視線が交差する。と同時に両者が一斉に飛び退く。
「何者だ、お前達は」
「答える義理はない」
 飛び退いたと同時に女の隣に降り立った男に、殺気を込めた視線を送る。男は龍を一瞥することなく、そのまま白神を狙って、刀を振るう。
「おっと、お前の相手は俺だ」
 グローブをはめた両腕で白神に向けた刃を受け止め、黒沢は無表情のままの男をじっと睨み付け、そして少し微笑んだ。
「今回は運動不足にならなくそうだな」
 刀ごと男を突き飛ばし、黒沢はにやりと白い歯をこぼす。
「あら、無様ね。アサシンマスター」
 相変わらず妖艶な笑みを浮かべたままの女が吹き飛ばされて近くの男に激突した男を一瞥する。
「あなたの相手は私です」
 白神が素早く女に迫り、掌底を繰り出す。女はそれを容易くかわすと一本のナイフを取り出して、無造作に構える。
「私ね、あなたみたいな清楚そうな女が大嫌いなの」
 くすりと相変わらずの笑みに、白神はさらに表情をきつくする。生理的にも相容れないことを白神は本能で感じ取って、警戒を強める。
「僕もいるのを忘れてもらっちゃ困るよ?」
「創君、ダメよ」
 ナイフとワイヤーを持って、女に迫る創。だが、白神は創に目で行くなと合図を送り、創を下がらせる。
「どうしたの?」
「嫌な感じがするの。あのナイフ」
「あら、良く気がついたわね。そう、このナイフにはたっぷりと毒が塗られて……」
「邪魔だ、キエラ」
 前に出ようとした女――キエラを制したのは、いつの間にか戻っていた男――アサシンマスターだった。
「2人とも、遊んでいる暇はありません」
 暖かさを微塵も感じさせない冷たい声が辺りに響き渡った、と同時に龍達に鋭い氷の刃が降り注ぐ。
「まずいな」
 黒沢は両腕に黒いオーラを纏い、爪を瞬時に生成し、氷の刃と叩き落としていく。
「くっ」
 龍は神速の剣技で氷の刃を切り裂き、かわしていく。その一方、創はワイヤーを貼り巡らし、理恵共々、自らの身を守っている。
「流石にこの程度の攻撃はかわしますか……」
 現れたのは幼げな顔立ちをした少女だった。月の光を受けて光る銀の髪、雪のように汚れのない白い肌、そしてまるで清き水の如き水色の瞳。だが、その水色の瞳は一切の感情を表さず、ただ冷たい視線だけを放っている。
「流石に『赤い風』だ。一筋縄ではいかないらしいな」
 黒沢は少女とキエラ、アサシンマスターをそれぞれ見回して、呟く。
「確かに、言われてみれば、そうだね」
 ワイヤーを体に纏わせ、創もそれに頷く。
「『赤い風』の八闘将だったね。聞いたことがあるよ」
「よく知っているじゃない、坊や。うふふ、でもね、あんまりおいたが過ぎると……」
 無邪気な笑みを浮かべた創を、キエラは妖艶な笑みを浮かべたまま見据える。言葉を一拍おいた瞬間にキエラの目が冷たい色を帯び、明確な殺意が籠もる。
「死ぬわよ」
 と同時にアサシンマスターが動く。疾風のような動きに、黒沢は食らいつくように拳打を次々と繰り出していく。
 一方、少女も氷の刃を生成し、龍に迫り来る。龍はさっとその刃を黒竜の牙で受け止めるが、その隙をつくかのように生成される小さな氷の刃に気がつかない。
 と突然の発砲音と共に、少女と龍がそれぞれその場を飛び退く。銃を構えた創が氷の刃を打ち落としたのだ。
「理恵ちゃん、僕、龍の援護に回るよ」
「わかった。この人は私が何とかするから」
 ぱっと駆け出す創を横目で見ながら、白神はキエラとの距離を徐々に詰めていく。相変わらず艶やかな笑みを浮かべたキエラに白神に顔をしかめた。嫌な感じがする、この女は。本能的に、それを悟っていた白神は、毒使いであろう女に勝機を見いだせずにいた。白神は接近戦を得意とする。特に素早く動きだけならよろず屋の中でも一番だろう。だが、動く中で攻撃、防御に移れる龍や創と違って、自分にはそんな武器はあまりない。一度でも女の攻撃を食らったらやられてしまう。 なら、ここで取るべき方法は……。
(ヒットアンドアウェイ……)
 白神が動いた。予想外の素早さにキエラの顔が少し驚きの色に染まる。素早く狙うは人間の急所であり、相手を一時的に行動不能にする顎だ。
 繰り出される毒牙のナイフを柔らかい動きでかわす。かわした反動で体をひねり、腕を下から振り上げ、掌底を顎に打ち据える。
「ぐっ」
 キエラが接近戦が得意でないこと、そしてキエラ自身の油断が白神の掌底を決めさせた。だが、キエラは憤怒の形相で白神を見据えながら、崩れ落ちる。
 勝利を確信してしまったのがいけなかった。ほぼ同時に甘ったるい匂いが白神の周りに充満しはじめ、体から力が抜けていく。
「理恵!」
「よそ見をしている暇は……ありません」
「ぐっ……」
 少女の放つ氷の刃を創と共に打ち落とし、龍は目の前で相変わらずの無表情のまま佇む少女を一瞥する。
「手強いね」
「ああ、流石に異端能力者なだけあるな……」
「それに、龍と戦いの相性もあんまり良く無さ気だし」
 ああ、わかっていると頷きながら、内心では龍は徐々に焦りを覚えていた。黒沢はアサシンマスターと互角にやり合っているが、白神は相打ちで戦闘不能状態、しかも何が起こったのかもわからない。創と共に氷の異端能力者と戦ってはいるが、どこから来るかわからない氷生成能力は、龍に間合いを詰めさせることを許さない。
「さあ、どうする……」
 龍は氷の刃を再び生成しはじめた少女を一瞥する。焦りと疲労が龍の額から一筋の汗を流し落とさせた。
 その刹那だった。どこからともなく轟音が響いてきて、龍は少女を牽制しながら警戒する。それはバイクの音だった。
 すぐに近づいてきたエンジンの音が無遠慮に鳴り叫んだかと思うと、派手な炸裂音が辺りに響き渡った。
「ヒーローは遅れて登場するんだぜ?」
「バカ言ってるんじゃない。遅い」
 いつもの調子で調子に乗る赤羽に呆れた様子で龍は小さくツッコミを入れた。炎に揺れる赤羽の顔が少しだけ頼もしく見えた。





 赤羽の派手な登場で白神は目を覚ました。と言っても意識はもうろうとしている上に体がマヒしていてほとんど動けない。キエラの方も目を覚ましたらしいが、脳震盪を起こした体では動けるはずもなく、ただ何かを呻いているのみである。
「キエラ、下がれ」
 赤羽が現れたのと同時に、アサシンマスターは黒沢から距離を置き、キエラを庇うように構えを取る。
「白神、大丈夫か?」
 一方、黒沢も白神を同じように庇いながら、アサシンマスターを牽制する。
「龍、お前は先に行け」
 少女と対峙していた龍に一瞥をくれる。龍は少し戸惑ったような表情を見せるが、やがて首を縦に振ると赤羽に目で合図を送ると、駆けだした。その後に創が白神を車の中まで連れて行き、安静な状態にする。
「創、お前も行け。ここは俺とこのバカに任せろ」
「でも……」
「無駄口を叩いている暇があるなら、さっさと追いかけろ」
 黒沢の有無を言わさぬ口調に創は渋々ながら頷くと、龍の後を追いかけて走り出す。少女が絶え間なく二人を追撃しようとするが、赤羽の炎が少女の氷の行く手を阻み続ける。
「よう、久しぶりだな、白雪」
 先程までの声音とは全く違う落ち着いた声が場の緊迫した空気に響く。赤羽の目には、無表情のまま赤羽を見つめる銀色の髪と水色の瞳の少女――白雪が映っていた。
 赤羽の言葉に白雪は表情を変えることなく、ただ赤羽を見つめているだけだ。
「白雪、殺るぞ」
 アサシンマスターの静かな言葉に、白雪は明確な殺意を持った目で赤羽を見つめる。氷の刃が次々と生成され、赤羽を狙う。
「戦うしかないのか」
 氷の刃を巧みにかわしていきながら、赤羽は右手の中指にはめられたくすんだ指輪に手をかける。指輪を引き抜き、裂帛の気合いを込める。
「炎帝の鎧」
 赤羽の全身が炎に覆われ、多方向から襲いかかる氷の刃を消し去る。氷が消えると同時に、炎が明確な意志を持ったかのように鎧の形を形成していく。
「流石に『赤い風』相手に、これは使わなければならないか」
 一方、黒沢も互いに牽制状態が続いていることに嫌気がさしたのだろう。何かを唱えはじめた。すると、両手を覆っていた黒いオーラが腕に染み込むように消えていき、そして右手から禍々しいまでの力が放たれる。
「破壊の右腕……」
 厳かに呟いた黒沢は、できれば使いたくなかったんだがなと呟き、アサシンマスターに向かって動き出す。グローブ越しに生える爪を鋭く振り抜く。と同時に爪が一つにまとまり、刃に変化する。アサシンマスターはそれを受け止めるが、あまりの衝撃に顔をしかめる。
 気合いで黒沢の刃を弾きながらも、隣で赤羽の炎の猛攻を受け、守りに入らざるを得ない白雪を一瞥する。
「白雪、ここは引くぞ」
 アサシンマスターの言葉に、白雪は頷き、吹雪を発生させ、迫ろうとする赤羽と黒沢を牽制する。
「ちっ」
「ぐお……。待て!」
「今日のところはここまでだ」
 アサシンマスターはキエラを抱きかかえ、黒沢と赤羽を交互に見回す。そして小さく腕を振るうと一層強い吹雪が吹き抜け、白雪達の姿は忽然と消えてしまった。
「畜生……」
「深追いはするなよ」
「だが……」
「お前が白雪とか言う女とどういう関係なのかは知らんが、あれは正真正銘の敵だ」
 黒沢の言葉に赤羽は黙ったまま、血が滲むほどぎゅっと拳を握りしめる。白雪の消えた方向をじっと顔をしかめながら見つめ、赤羽はぎりりと唇をかんだ。





 龍と創が後発隊である大塚や孝彦と合流したのは、すぐ後だった。攪乱のために龍が持っていた秘宝に創は驚いたように大きな目を見開いていた。どうやら孝彦と長い間話をしていたのはこれのことだったらしい。
 白神も含め、とりあえず無事であることを黒沢からの連絡で知り、龍はほっとため息をついた。
 その様子を近くの物陰からうかがう人影が一つ。気配を完璧に消し、ただ龍達の様子を確認している。
「あら、あなたほどの人がこんな下働きをなさっているんですか、白竜?」
 くすりと小さな笑い声がして、奥にある竹林から一人の少女が顔を見せる。様子をうかがっていった『赤い風』の八闘将の一人、白竜は無垢な笑顔を浮かべる少女を厳しい表情で振り返る。
「まさか、貴女の予想通りとは……。誤情報をわざと流し、あの京極孝彦さえも手玉に取るとは」
「ふふふ、私はただ情報を流しただけですよ?」
「青木龍に京極孝彦が例の物を持たせているとまでは予測がつきませんでした。これを見る限りどうやら白雪達はどうやら任務に失敗したようですな」
「いいえ、彼女たちは任務以上の物を持って帰ってきてもらえたので、私としては満足しているのですよ」
 少女らしからぬ落ち着いた笑みを浮かべて、厳しい表情の白竜に語りかける。
「それに、私、例の物に感心はあまりありませんの」
「何ですと……」
「役に立たないデータなど不要、ですからね」
 少女の言葉に白竜は目も見開き、そして思慮するように目を伏せる。
「どうしましたの?」
「一つ、失礼を承知でお尋ねしてもよろしいでしょうか」
「ええ、何なりと」
 白竜はゆっくりと目を開くと、目の前で涼しげに佇む少女の目を見つめ、口を開く。
「貴女の目的は何なのですか?」
「さあ、行き着く果てにその答えはあるのではなくて?」
「愚問を失礼しました」
「いいのですよ」
 白竜の言葉に少女は邪気のない笑みを浮かべ、頷いた。
「あら、そろそろ時間ですね。私はこの辺で失礼させていただきます」
「では」
「ええ」
 少女は一瞬の霞のように白竜の前から消え去った。少女のいた場所をじっと見つめながら白竜は厳しい表情を崩すことなく、ただ佇むだけだった。

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