これは高洲の姫様を巡る物語。
 昔々、あるところに咲姫という花のように可憐で大層美しいお姫様がおられたそうな。咲姫様は高洲を治めておられた兵津家の一人娘であらせられた。
 兵津の殿様は、大層咲姫のことを可愛がり、結婚相手も中々決まらなかった。
 時は戦乱の世から徳川の天下に代わりし後、新たな時代も落ち着きを迎えた頃であった。兵津の殿様は咲姫を嫁に出したがらなかったのも、これからの世は戦ではないことを悟っておられたからだ。
 咲姫の美しさに有力な武家の倅が咲姫を嫁に迎えるのを望んでいたが、それを全て兵津の殿様は断ったと聞き及んでいた。
 そんな咲姫様にも一人、気になるお方がおられた。
 それは何とでもない風貌の上がらない地味な男。だが、男には誰も持っていないあるものを持っていた。
 咲姫様はそんな男に恋を成された。そして男も咲姫様を愛しておられた。
 だが、咲姫様は男とは結ばれない。兵津の殿様が咲姫様の結婚を許すはずがなかったのである。
 咲姫様はそれでも男への想いを捨てきれず、二人は駆け落ちに走った。
 だが、それは咲姫様の動きを良く思っていなかった方によってまたしても妨げられる。
 逃げて逃げて、最後に男と咲姫様が行き着かれた先は、小さな湖だった。
 追っ手はすぐそこに迫っている。逃げないと悟った二人は互いに見つめ合い、湖へと共に沈んでいった。
 すぐに二人を追っ手は助け出したが、咲姫様はすでに亡くなられ、男だけが一命を取り留めた。
 このことに激怒した兵頭の殿様は男を死罪としたが、すぐにそれを悔い咲姫様と共に男をどこかの小さな山に埋めてひっそりと供養をなさったそうな。





第3話 壺をめぐる奔走





 すっかり桜の花は儚く可憐にその役目を終え、代わりに新芽が今か今かと産声を上げる時を待っている。気温も少しずづ上がってきた春のうららかな午後の平日は穏やかな陽光に照らされている。
 ガラス張りの窓は陽光に照らされ、きらりと様々な色を帯びている。窓から入ってくる光は落ち着いた雰囲気の店内と絶妙に絡み合い、何とも言えない心地よさをもたらしている。
「マスター、ホットミルク〜」
「はいはい、ちょっと待ってね」
 商店街のメインストリートから少し離れたこぢんまりとした小さな喫茶店『REST』にいつもののほほんとした声が響いていた。カウンターの隅でノートパソコンに向かう天堂創を一瞥して、この喫茶店のマスターである山村智子は穏やかな笑みを浮かべて頷いた。
 ボコボコとコーヒーが湯気を上げながら沸き立つ音とカタカタと小気味の良いキーボードを叩く音が静かな店内にゆっくりと溶け込んでいく。
「はい、どうぞ」
「わあ、ありがとう〜」
 ほくりと湯気を上げたカップが前に置かれると、創の顔がぱっと明るくなる。そんな創の様子を微笑ましげに一瞥して、智子はちりんちりんと鳴るベルに目を向けた。
 扉が開いて姿を現したのは、少し白髪の混じりはじめた初老の男だった。地味な黄土色のベストによれよれのスラックス。よく言えばレトロな感じ、悪く言えばだらしない格好をしたこの男は商店街で骨董屋を営む寺川耕介だ。
「あ、寺川のおじさんだ〜」
「おう、創。今日は凄いものを持ってきたぜ」
 にっと歯を出しながら寺川は、カウンター席に一番近いテーブル席にどかっと座り風呂敷包みを取り出す。
「また怪しい物でも持ってきたんですか?」
「いいや、今回は凄いぞ。前とは違う!」
 苦笑いを浮かべながらメニューを渡す智子に向かって、寺川は自称ニヒルな笑みを浮かべている。実際はおっさんのただの気持ち悪い笑みだが。
「で、その凄いものって、何を持ってきたんですか?」
「まあ、そう慌てるなよ。お楽しみは待ってこそ、意味があるんだ」
 ごそごそと小汚い鞄の中を漁る寺川を横目に、智子は仕方ないなと言った感じで苦笑を浮かべるしかなかった。
「……………………これだ!」
 じゃじゃんっと擬音語を口にしながら寺川が出した物は、一枚の古びて黄ばんだ小さな紙だった。
「何なの、これ?」
 ホットミルクをぐっと飲み干すと、創は訝しげに寺川の手からぶら下がる紙をつんつんとつつく。
「聞いて驚くなよ?」
 今まで散々もったいぶったのにも関わらずまだもったいぶる寺川の様子に、智子ははいはいさっさとしてくださいよと呆れた声で返す。
「むう……。実はこれはな、徳川埋葬……」
「嘘はいいですから、とっとと本当のこと言ってくださいよ」
 いい加減にしろという無言のメッセージを感じ取ったのか寺川がむっと言い淀どみ、店内全体に微妙な雰囲気の沈黙が漂い出す。そんな空気を読んでか読まずか不意にちりりんと扉についたベルが再び鳴った。
「どうもっす。創の奴いますかー?」
 威勢の良い、それでいて場の空気を全く読まない声が微妙な雰囲気をぶち壊すかの如く響いた。小さな紙袋を胸に抱えた赤羽が、ずかずかと店内に足を踏み入れる。
「うん、いないよ〜」
「お、そうか。まったくどこに行ったんだろうな」
 まじめな顔をして、そう呟く赤羽を一瞥する創の目が少し光った。
「そこの紙袋何〜?」
「ああ、これか。ちょうど、商店街の近くで高洲焼の屋台があったから買ってきた…………って創……!」
 今頃気がついたのだろう赤羽が奥でパソコンに向かう創を見て、大きく目を見開く。創はそんな赤羽の様子を気に留めることもなく、さっと赤羽の手から紙袋を奪い取る。
「あっ」
「いただき〜」
 脱兎の如く元いた場所に戻ると、ごそごそと紙袋を漁り、中から小さく丸いこんがりと焼けたお菓子を取り出す。
「うん、やっぱりおいしいね〜」
 ぱくりとお菓子にかぶりつき、創は美味しそうに顔を緩めた。
「お、旨そうだな。どれ、一つもらおうか」
 寺川が創にむけて手を差し出すと、寺川の掌の上に高洲焼が置かれる。寺川はそれを一瞥すると、智子に見せるように高洲焼を手に取る。
「実はな、この紙には、高洲焼きについて書かれているんだ」
「高洲焼ってこれのことですか?」
 智子は寺川の手にある小さなお菓子を指さしながら首をかしげる。
「いいや。高洲焼ってのは焼き物だ」
「焼き物?」
「そう、焼き物だ。壺とか皿といった陶芸品の類の」
「焼き物って……。伊万里とか有田焼みたいな?」
「そんな感じに思ってもらえればいいな」
「ちなみに、伊万里と有田焼はほぼ同じ物だからね」
 すでに席に着いている赤羽の前に湯気の立つコップを置きながら、智子は言う。
「で、その高洲焼ってのが、どうかしたの?」
「幻の焼き物って言われているの」
 こっちの方が有名だしねと呟きながら、智子は創の持つ紙袋を指さす。
「むぅ〜。高洲名物だからね〜」
 ぱくりとお菓子にかぶりつきながら、創は寺川に視線を移し、次の言葉を待つ。
「それでだ。実はこの紙にはその高洲焼の中でもさらに貴重な壺のありかが書いてあるんだ」
「で、その高洲焼の壺を一緒に探してほしい……と」
 創の言葉に察しが良いなと寺川は大きく頷く。
「依頼だよ〜、赤羽」
「あ、ああ……」
 恐らく龍に、ここでサボっている創を連れ戻すように言われていたのだろう、赤羽が少し戸惑い気味に創を見つめる。
「とりあえず、今日は探すのは無理だろうからな。高洲焼でも見に行くか?」
「そうしよう〜」
「えっ?」
 突然のことに赤羽はさらに困惑の色を強め、そのままフリーズしてしまう。そんな赤羽のことなど気にも留めず創は赤羽の手を取り、ずるずると引っ張ろうとするのだった。





 高洲市の中心部に存在する高洲城。白壁が美しく、国宝にも指定されている名城だ。城を囲むように北にある大地山系から流れる代咲川は高洲城の手前で二つにわかれ、城の南で再び一つにまとまり、天然の堀を形成している。
「うわ〜。凄いね〜」
 城から一望できる市内の様子に、創が感嘆の声を上げる。高洲城の天守閣から眺める市内は絶景としても名高いのだ。
「向こうには山があるな」
 北にそびえる1534mの大地山。霊峰として名高く、古くから修験道の修行場としても知られている。
 一方、南には港が広がり、西にかけて大きな工業団地が連なっている。
「おおい、2人ともお目当ての品を見に行くぞ」
「了解〜」
 城独特の急な階段を下りていく寺川の後を追うように創と赤羽もついて行く。展望台の下の階は展示スペースとなっており、この地域の歴史や郷土と言ったものが細かく説明されている。
「うわぁ。この甲冑凄いね〜」
「それは兵津の初代、孝泰の甲冑だな」
 質素でそれでいて強さを表すような赤い甲冑をじっと見ながら、創は寺川の言葉に聞き入っていた。
「ふーん。そんなに凄いものなのか?」
「兵津孝泰はこの地を統一した武将だ。名君としても名高い人物で……」
「そういえば、前にしてくれた咲姫の話の兵津の殿様ってこの人のこと?」
「そうだ」
「さっぱりわからねぇ……」
 咲姫の話はこの地に古くから伝わる伝承の一つで、高洲を治めていた兵津家の姫と1人の男の悲恋の物語だ。高洲に住む者なら大抵は知っている物語で、よく紙芝居などにも使われている。
「よし、次はいよいよ目的の物だ」
 そう言って寺川は少し離れたところに置かれたショーケースに目をやり、2人を促す。
「お、あれか……」
「これは凄いね〜」
 赤羽と創がそれぞれ歓声を上げる。ショーケースの中には直径30cm程はあるだろうか、大きな皿が展示されていた。何よりも素晴らしいのは、汚れのない白さと深い青で描かれた模様のコントラストだろう。
「これは、高洲焼の初代の作と言われている。これほどまでのものがあるのに、全国に名が知れ渡っていないのが、不思議なんだな」
「ふ〜ん、後継者がいなかったんじゃないの?」
「そう、何故かは知らんが、後継者がいなかったため、技術が広まることがなかった、と言われている」
「何か……ありそうだな」
「そうだね」
 目の前に置かれた焼き物を一瞥して、創は物言わぬ焼き物をじっと眺めていた。





 太陽が斜めに傾き、そろそろ地に沈むという頃、創と赤羽はよろず屋に戻った。と言ってもよろず屋の正面で止まらざるを得なかったが。
「げ……、龍」
「何が、げ……だ。赤羽」
「ただいま〜」
「ただいま、じゃないだろ、創」
 よろず屋の入り口の前で腕を組み、不動明王のように仁王立ちをした龍に、創と赤羽からはつぅっと一筋の汗が落ちる。
「今まで、どこで、何を、していたんだ?」
 口調こそ穏やかだが、有無を言わさぬ無言の圧力を感じ取り、赤羽の体の筋肉がこわばる。
「えっと、依頼を受けてたんだよ〜」
「依頼?」
「うん、寺川のおじさんに頼まれてね〜」
 創の言葉に龍はうさんくさそうに赤羽に視線をやる。無言越しに、本当のことを言えと赤羽に圧力が押し寄せる。
「え、えっと、それは本当なんだが……」
「本当か?」
 龍の殺気の籠もった視線に赤羽はぶんぶんと必死に首を縦に振る。
「どんな依頼だ?」
「うーんとね。壺を探す依頼」
「壺?」
「ああ、高洲焼って言う幻の焼き物の中でも特に貴重な……」
「その話聞いたことがあるな」
 突然の声に、赤羽は緊張が解けびくりと体を震わした。店の奥からスウェット姿の黒沢が出てきて、龍を一瞥する。
「まさかあの壺のありかでもわかったのか?」
 黒沢は赤羽と創を交互に見やると、龍の隣にやってくる。
「どういうことだ、黒沢?」
「昔からここにいるお前なら聞いたことがあるだろ。咲姫に献上される予定だった壺を」
「あ、ああ。出来があまりにも良すぎて、どこかに封印されたって壺のことか?」
 龍の言葉に黒沢はそうだと小さく頷き返す。
「だが、その壺を作っていた職人は献上する前にどこかで溺れ死んだ」
「へぇ、そんな話が伝わっているんだな……」
 赤羽が感心したように黒沢の言葉に聞き入る。
「どうせ、サボりたがりの創のことだ。明日、寺川のおっさんと壺を探しに行くつもりだろう」
「…………だからお前が創と赤羽について行くってか?」
 龍は黙って頷く黒沢を一瞥すると、諦めたようにはあっと大きくため息をついた。そして、呆れた様に勝手にしろと言い、店の奥へと戻っていく。
「と言うわけだ。明日から俺もお前らについて行く」
 監視の意味も込めてなと、鋭い目で黒沢は赤羽と創を見据える。赤羽と創は射貫くような黒沢の視線に黙って首を縦に振ることしかできなかった。





 翌日、創と赤羽と黒沢は寺川に案内されて、壺のあると言われる場所を目指していた。
「えっと、で、壺はどこにあるの〜?」
 助手席に座る寺川を後部座席から訊ねるのは創だ。智子の運転する車に寺川と創達が乗っている。ストローをかじりながら、ジュースを飲んでいる創の隣では、黒沢と赤羽が座っている。
「昨日、創君達が帰った後、寺川さんが調べていたけど、どうやら牛島湖付近みたいね」
「牛島湖付近? どういうことだ?」
 ハンドルを握っている智子を一瞥し、黒沢は前の席でくつろぐ寺川に声をかけた。
「ああ、大まかな位置しか書いてなくてな。どうやら壺のありかは機密のようだ」
「なるほど……」
 寺川の言葉に黒沢は小さく頷くと顔を少ししかめて黙り込んでしまった。
「そういえば、牛島湖ってどこらへんにあったっけ?」
「あれ、知らないの?」
「赤羽はここの地理にあんまり詳しくないからね」
 赤羽の言葉に智子が、少し驚いたように声を上げた。
「あ、そうなんだ……。牛島湖はね、高洲市の北にある大地山の麓にある湖よ」
「ちなみに牛島の由来は、湖の中にある小島が牛の形に似ているからと言われている。
「ふーん」
「後、ちょっとでつくから、一度見てみると良いわ」
 そういうと智子はハンドルを切り、それまでの国道から小さな脇道に入る。脇道に入ってからしばらく行くと、小さな島とその周りを囲む水の穏やかな色が窓越しに赤羽の目に映る。
「さて、ここまで来ると到着だな」
「探すのは良いですけど、当てはあるんですか?」
 牛島湖畔駐車場と書かれた広場に車を止めて、智子は訊ねる。すると寺川は片目をぱちりと閉じて
「ああ、だいたいの目星はな」
 とだけ言い、年不相応の少年のような瞳を浮かべていた。そんな寺川を見ながら智子は内心深いため息をつくのだった。





「何でこんなところにいるんですか……」
「それは、ここに壺があるからに決まっているだろう」
 うっそうと茂る木々を見渡しながら、寺川は智子の言葉に応えた。
「でもここって確か、立ち入り禁止区域じゃなかったですか?」
「そんなの知らんな」
 しらを切る寺川に何を言っても無駄だと判断したのだろう、智子が深いため息をつく。寺川を先頭に創達はこっそりボートを使い、本来立ち入り禁止である牛島湖の小島へと乗り込んだのである。
 そんな無謀なことを考える約3名に厳しい顔をしているのは智子だけではない。黒沢もだ。
「どうしようもないですよ、山村さん」
 肩をすくめ諦めてくださいと智子に伝える黒沢はまだ表情を硬くしたままだった。
「どうしたの、黒沢君」
 先を行く寺川とやたら乗り気の創と赤羽を一瞥して、何か考えているのだろうか、険しい顔をした黒沢に声をかける。
「ああ、山村さん。ちょっと腑に落ちないことがあって」
「腑に落ちないこと?」
「高洲焼の関わる話と咲姫の物語がどうもしっくりこなくて……」
「確かに時代的にはほぼ同時期ってね」
「そうです。高洲焼はどちらかといえば伊万里などに似た焼き物ですからね」
「確か朝鮮出兵で焼き物の職人が大量に日本に連れてこられたのも安土桃山末期ね」
「そして、咲姫の父親と言われる兵津孝泰もちょうどその頃の人物です」
 黒沢は一呼吸話を置き、静かに目を閉じる。
「これが意味するのは何なのか……」
「それが幻の壺が見つかれば、解るかも知れないね」
「そうですね」
 確信めいた物を感じているのだろう。黒沢は真剣な表情を浮かべて、前を進む創達の後をついて行く。
「黒沢君はこういうのが好きなの?」
「どうしてそんなことを聞くんですか?」
「あんまり、店に来ないからね。少し気になってね」
 創君や赤羽君は結構来てくれるけどねと、付け足しながら、智子はそっと優しく微笑む。
「そうですね。まあ、昔からこういう話はよく聞かされていたんで……」
「へぇ、そうなんだ」
 そう呟いたときの黒沢は少し寂しげに、それでいてどことなく辛そうな、そんな複雑な顔をしていた。
「あ、こんなところに怪しい場所があるぞ」
「お、本当だ〜」
「よぉし、この先に進んでみるぞ」
 元気なのか脳天気なのかわからない赤羽と創の大きく明るい声が響く。智子は小さく微笑むと、黒沢に行きましょうと促した。
「そうですね」
 ずかずかと先に進む創と赤羽を一瞥し、黒沢はふっと険しかった表情を緩め、先を行く智子の後を追いかけた。





「うわぁ。洞窟だぁ……」
 赤羽が偶然見つけた路の後を辿ると、そこには小さいながらも黒い闇の入り口が大きく口を開いていた。
「見た感じ、鍾乳洞だな。ただ何ヶ所か人の手が加えられた箇所がある」
 黒沢と寺川は鍾乳洞の入り口を見回しながら、小さく頷く。
「あるとしたらここだな」
「そうですね」
「でも、どうやって探査するんですか? ろくに装備も持ってきてないですよ」
 確かに智子の言うとおり、寺川はいつもと同じベストによれよれのスラックスという格好だし、創達も普通に私服である。
「ライトならここにあるよ」
「え、俺?」
 そう言って創は隣にいる赤羽の肩をぽんぽんと叩く。それに一応、ライトは持ってきたしねと、創は鞄から懐中電灯を取り出す。
「見た感じ、崩落とかの恐れも無さ気だし、行くぞ」
「は〜い、隊長〜!」
「ういっす!」
 創から懐中電灯を受け取り、勇ましく号令をかけると寺川は創と赤羽を引き連れて、洞窟の奥へと消えていく。
「どうします?」
「どうするも追いかけるしかないわね……」
 肩をすくめて智子は黒沢を一瞥する。黒沢が黙って頷くと、二人も洞窟へと入っていく。
 とはいえ、洞窟の中はあまり広くない。大の大人が両手を広げるくらいの幅と、手を挙げて届くほどの高さしかない。
「うーん。結構奥に来たけど。何にもないね〜」
「島の大きさから考えても、あってもここくらいしか隠せそうな場所はないが……」
「だが、明らかに人の手が加えられた跡が残っていた。どこかに何かしらの仕掛けがあるはずだ」
 黒沢はふるりと周りを見回し、腕を組む。
「なあ、これからどうするんだ?」
 掌の上、約10cmのところに灯りとなる炎を付けた赤羽がじろじろと落ち着かなさそうにしている。ふと黒沢は赤羽の炎に目がいく。
「おい、赤羽。ちょっとその炎でこいつを燃やしてくれないか?」
「ん、ああ」
 黒沢はふと思い出したかのように取り出したのは、墓参りでよく使う線香だった。ちりりと先端が赤くなると白い煙と独特の匂いが洞窟に充満していく。
「流れているな」
 わずかに流れていく線香の煙を追って、黒沢は風の出所を探す。
「ここか」
「何にもないように見えるよ〜?」
 黒沢は何の変哲もない壁の前に立つと、小さく何かを唱え出す。
「クロスエッジ」
 体の前で交差させた腕から黒い何かが溢れ出し、瞬く間に大きな爪を形成していく。黒沢は爪を壁に当て、一気に押しやる。すると、鈍い音を立てて、黒い爪が壁を切り裂いていく。みしりという音がして、扉の形に切られた壁が崩れる。
「お、おい。奥に続いているぞ」
 寺川が徐々に薄れていく煙の向こうに空間を見いだす。
「この奥か……」
「多分ね」
 寺川を先頭に明らかに人の手で作られた通路を進んでいく。ここで恐らく間違いないだろう。
 道は二手に分かれており、片方は重々しげな扉で、もう片方はどこかへと繋がっているのだろうか、水の音が聞こえる。
「あっちは恐らく湖か地下水に繋がっているんだろうな。もともとあったこの洞窟を改造して、これを作ったってところか」
 寺川は扉に触れながら、ぽつりと呟く。
「そうだね〜」
「じゃあ、あけるぞ」
 寺川の言葉に黒沢が、創が、智子が、赤羽が、頷く。それを確認すると寺川は力を込めて重々しい扉をゆっくりと開きはじめた。





「うわぁ…………って意外としょぼかったね〜」
 部屋は重々しいとは打って変わって非常に質素なものだった。置かれてあるのは箱が三つだけという何とも拍子抜けするものだった。
「この箱……、兵津の印があるな」
 寺川は骨董品の店主の真剣な表情を浮かべたまま、箱の周囲をじっくりと調べていく。
「開けてみようよ〜」
 創の言葉に寺川も小さく頷き、慎重に箱を開けていく。
「こ、これは……」
 出てきたのは小さな壺だった。だが、鮮やかで目の覚めるような青と汚れのない純白とも呼べるほどの澄んだ白色。青と白の美しいコントラストが見る者の心を引きつけて止まない。
「でも、すんごく切ない感じがしますね」
 智子がぽつりと呟いた言葉に寺川と黒沢も同意見だったため頷く。
「なあ、ここに何か書いてあるぜ」
 赤羽が指さした先には小さく『妾、旅立つ汝を想ふ』と書かれていた。
「まさかな……」
「黒沢、どうしたの?」
 目を見開き、壁に書かれた文字を見つめる黒沢に創が遠慮がちに声をかける。
「それはな、創。物語とは作り話のようで時に事実を表すことも、そして歴史に葬り去られたものを蘇らせることもあるのだ」
 寺川がぽんっと創の肩に手を置き、どこか寂しげな口調で告げる。
「咲姫は男と心中したとき、死んでなどいなかった。逆に死んだのは男だ。男は高洲焼の職人だったんだ」
「ああ、にわかには信じがたいかも知れんが、そうすると上手く説明が行く。高洲焼が何故残っていないかが……」
 寺川の言葉に、黒沢もただ黙って頷く。
「これはここに置いておこう。わしらが触って良い代物ではないからな」
「え、でも…………」
「咲姫のことを考えてみるんだ」
 寺川の言葉に渋々といった風采の創の頭を智子がそっと優しく撫でる。
「ここは俺が封印する」
「頼むぞ」
 壺を箱の中へとしまった黒沢は、小さく頷くと、ゆっくりと目を閉じた。そして何かを唱え、指先を空に走らせる。
「これで、いい」
 寺川の言葉に黒沢は首を縦に振ると、創と赤羽を一瞥して、出るぞと促す。創はやれやれと言った感じで身をすくめると、足早に歩き出した黒沢の後をゆっくりと追い始めた。





 その昔、咲姫と呼ばれるお姫様がおられた。ある日、城に献上された小さな壺との出会いが咲姫の運命を変えた。
 後に高洲焼と呼ばれることになるそれは大変素晴らしい出来で、咲姫様は小さな壺をとても大切にされたそうな。
 それから5年もの月日が流れ、咲姫様はとある男と出会われた。その男はあの小さな壺を作った職人で、高洲焼の職人の中でも将来を有望視されていた者であった。
 二人はやがて愛し合い、将来を誓い合うまでとなった。だが、兵津の殿様がそれを許すはずもなく、二人は殿様の逆鱗に触れてしまう。
 二人は何もかもを捨て、北にある湖へと逃げ込んだ。しかし追っては素早く、咲姫様達を追い詰める。
 やがて、入水を決意した二人は、抱き合ったまま、冷たい湖へと身を投げた。
 だが、咲姫様は助けられ、男だけが亡くなってしまった。
 それを嘆き悲しんだ咲姫様は、自らを死んだとし、男の作った壺や皿を集めなさり、男が眠る湖の真ん中にぽつりと浮かぶ小島に隠された。
 兵津の殿様はそんな咲姫様を哀れみ、小島を人が入れないように、払い、男の霊を供養した。
 その後、咲姫様がどうなったのかは誰も知らない。
 ただ、歴史の闇に消えてしまった小さな一つの欠片は、永久に見つかることはないだろう、そして見つけるのは無粋というものなのだろう。

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