人生における転換点というのは風のように、もっと言えば雷のように一瞬でやってきて、過ぎ去っていくものらしい。僕にとってはそれは自らのエナジーの象徴であるジュピター灯台から始まったように感じる。
 ガルシア達を追ってジュピター灯台にやってきた僕たちは、シャーマンの杖がないながらも何とか智恵を振り、危険を冒して灯台の頂上を目指していた。
 それは僕たちの旅の中で一番過酷なものとなっていた。灯台の侵入者用トラップや中に巣くう強力な魔物達はもちろん、敵の容赦ない罠。そしてそれは僕たちを最大のピンチへと追い込むものとなった。
 ジェラルドが床のトラップに捕まり、灯台から振り落とされそうになる。ジェラルドに庇われたメアリィが彼を必死に助けようと力を込めるが、救出には時間がかかりそうだった。助けに向かおうとした僕とロビンの前に立ちはだかったのは、サテュロスとメナーディの同族と思しき2人の戦士だった。
 すぐに戦闘が始まる。力量ではこちらが上回っていた。だが、2人を助けなければならないという焦りが僕たちから冷静さを失わせていた。回復を行うメアリィと壁役を担うジェラルドがいなかったのも大きかった。戦士達の放つ高位の火のエナジーは僕たちを容赦なく傷つけ、あっという間に敗北を喫させてしまった。薄れゆく意識の中で、ロビンの姿がわき上がった火の竜に飲まれる様が目に焼き付いて離れなかった。
 それから先はあまり覚えていない。ガルシア達に助けられた僕たちは、風の灯台の灯を点すのを阻止できなかった。再会したロビンとガルシアは、ギアナで今までの経緯を話すことを約束し、僕たちは傷を癒すために一足先にギアナ村へと戻った。
 程なくして、僕たちはギアナでガルシア達と再会した。そこで聞かされた事実は驚くべきものだった。
 突如ハイディアに発生した大嵐で死んだガルシアの両親とロビンの父が生きていること、ウェイアードが滅びの危機に瀕していること、そして滅びを防ぐためには全ての灯台の灯を点す必要があること。
 驚き、戸惑う僕らの前に現れたのは、僕らにとって――いや、僕にとって懐かしさを感じさせる人物だった。それはかつてラマ寺で僕にイマジンを教え、導いてくれたハモ様だった。
 そして僕はハモ様が自らの姉であることを知る。そしてあの時と同じように、強い眼差しをもって僕たちを導こうとしていた。
 困惑する僕を申し訳なさそうに制して、ハモ様は話を続ける。皆が力を合わせなければならないこと、時間があまりないこと。すぐにでも出発しなければならないことはわかっていた。だからこそ僕は戸惑い、迷いを持っていた。



心の拠り所



 吹き抜ける風は心なしか村を始めて訪れたときよりも冷たく感じる。それは夜の風のせいでもあるかもしれないが、やはりともされた灯台に寄るところが大きいのだろう。ここにいても北の方から強いエナジーの気配を感じる。やはりウェイアード全体に影響を及ぼすのは疑いようもない事実だと確信する。
 ススキの穂が風に揺れ、月の淡い光を受けて黄金色に輝いている。少し寒いが良い夜だと思う。
 それでも僕の心は晴れなかった。いつもなら癒しをくれる月の嫋やかで優しい光はどこか冷たさを増しているように感じられ、どうしようもなく寂しさを誘う。
 気がつけば肩が小刻みに震えていた。何故だろうか、何とも言えない気持ちがこみ上げてくる。その気持ちの正体がわからないまま、僕はただ呆然とその場に立ち尽くしていた。
 不意に少しひんやりとした感触が左肩の上に感じられる。振り返るとそこにいたのは、優しい表情を浮かべた1人の女性だった。
「は、ハモ様……」
「イワン、やはりここにいたのね」
 どこか遠くを見つめながら、ハモ様はどこか嬉しげな色を含めて僕の隣へとやってくる。
「どうしてここがわかったんですか」
 僕の脳裏に熟練した風のエナジストに訪れる未来予知のエナジーのことがよぎる。しかしハモ様はそれを察したのか首を横に振り、そっと僕の瞳を覗き込んでくる。
「イワン、あなたにはわかるはず。人の心は徒に見るものではないことを」
 僕はそれに黙って頷く。人には様々な感情があり、心に留めておきたいことがあるのだ。それは僕やハモ様でも同じなのだ。
「だから、私はリードは使いません。だけど……」
 ハモ様は諭すような口調で続けるが、一つ間をおいて少し嬉しそうに微笑んで
「ここが私のお気に入りの場所だから、きっとあなたも気に入ると思ったのですよ」
 ハモ様ははじめて出会ったときや昼間の導く者としての表情ではなく、姉としての表情を浮かべて僕の頬をそっと撫でた。
「良く戻ってきてくれましたね、イワン」
 不意に体が暖かなものに包まれる。それがハモ様で、自分が抱きしめられているのに気づくのに時間はかからなかった。
 静かな夜の平原を静寂が訪れる。聞こえるのは風に揺れるススキの穂が擦れる乾いた音だけだ。
 暖かなハモ様の体温を感じながら、僕は今までに感じたことのない暖かさを感じていた。
「…………ごめんなさい。今まで抱きしめてあげられなくて、弟だってわかっていたのに」
 嗚咽混じりの声が耳朶を打ち、僕の体を抱きしめる力が少しだけ強くなる。僕は何も言えなかった。ただ黙って抱擁を受け続けることしかできなかった。
 今まで自分を不幸に思ったことは何度もあった。エナジーの力で何度も傷ついた。こんな力さえなければ、どこにでもある普通の子供として生まれたら兄弟と両親と共に幸せに暮らせたかもしれない。そう思ったことも数知れなかった。
 だけど、今ハモ様の言葉を聞いていると、そんな気持ちはどこか遠くへと押しやられてしまう。
 ハモ様は僕のために泣いてくれている。決してハモ様が悪いわけではないのだ、僕に課せられた命運が結果的に僕を家族から、世界で1人だけの姉から引き離した。
 泣き止まないハモ様の表情はわからないが、きっとその美しい顔をぐしゃぐしゃにして泣いてくれているのだと思うと、少し嬉しく感じられた。
 この人は本当に僕のことを想ってくれている。それだけで充分に思えた。



 ゆっくりと瞳を閉じて、しっかりとハモ様の体の温かさを感じる。心の底から気持ちが落ち着いてくると、今まで見えて、いや感じられなかったものがぼんやりと姿を現してくる。
 それは僕の周りを取り囲む全てのもの。風として現れる空気の流れに、ススキの穂が擦れる音と虫の涼やかな泣き声のオーケストラ。そして目には見えないこの世界――ウェイアードを大きく循環するエナジーの流れ。
「感じますか、あなたを囲むこの世界を」
 耳元に響いたのは落ち着いたささやきだった。既にハモ様は泣き止んで僕に変わらぬ声で語りかけてくる。
「この世は大きな流れの上に成り立っています。そしてそれは人の命運とて同様です」
 ハモ様はゆっくりとまるで壮大な物語を歌うように話し始める。僕は夜闇を覆う星空のカーテンをぼんやりと眺めながら、ハモ様の語りに耳を傾ける。
「人の運命とは残酷なもの。特に力のあるもの、力を手に入れようとするものにそれは如実に表れます。それは責任でもあるのでしょう」
 僕は、そっと考える。自然の力を元とするエナジーは、この世界の力である。その力を利用すると言うことはこのウェイアードに対して、取引を行うこと事でもある。ハモ様はそれを責任という言葉で表現した。
「そして選ばれたのです、8人のエナジストが。そのうちの1人があなたです、イワン」
 密着していた体が不意に離れて、ハモ様は一縷に僕の目を見つめてくる。
「この流れは変えられない。未来が見えると言うことは残酷なことです。運命に抗うことを知らせることで潰してしまうのですから」
 ハモ様の瞳の奥底には深い怒りの炎があるように感じられた。残酷な運命に対する怒りか、それとも運命に抗えない自分自身に対する怒りか、それはずっと離れて生きてきた僕にはわからない。
「だから私は決意しました。あなたが立派に務めを果たし、生きて私の元へ戻ってきてくれるように。そしてそれが離れることになっても……」
 深い決意の色、それを僕は人生ではじめて本当に理解した。そしてそれがハモ様の楔であることも、彼女を苦しめていることも。
「だからこそ、正体を隠し、私は導き手となりました。ですが、私に出来ることは本当に僅かなこと……」
 気がつくと崩れ落ちそうになるハモ様の手を僕は握っていた。
「そんなことないです。ハモ様は――いや、姉さんはずっと僕を見守っていてくれました。僕のこと心配してくれていました。それだけで僕は嬉しいんです」
 ふれあう掌の温度が少し上がって、ぽつりとこぼれた雫がやけに冷たく感じた。
「もう私に出来ることはほとんどありません。後は立派に成長したあなたを最後の目的地に送り出すことだけ。それでも……」
 姉さんは、アメジスト色の瞳に涙を溜めながら、気丈に笑みを浮かべて続ける。
「あなたが私を心の拠り所にしてくれるなら、私は水のエナジストのように癒しの力はないけど、無事に私の元に帰ってくるように精一杯祈ります」
 両手が温かな手で覆われて、僕はその言葉に笑顔を浮かべて精一杯頷き返す。もう迷いはなかった。姉さんが祈ってくれるなら、待ってくれるなら、例え厳しい戦いがこれから先僕にのしかかっても大丈夫だと思えた。
「どうやら迷いはなくなったようですね」
 変わらない声は最初に出会った時を思い出させて、僕はもう一度大きく頷いた。姉さんは目尻に溜まった涙を袖で拭って、嫋やかな笑みを返してくれる。
「姉さん、僕…………」
「わかっています。務めを果たしたら、ゆっくり今までの隙間を埋めていきましょう」
 最後まで姉さんは背中を押してくれる。僕が振り返る必要の無いように。
「さぁ、そろそろおやすみなさい。明日は早いですから」
 白銀の月明かりに照らされた姉さんの横顔は少し誇らしげに見えた。



 次の日の朝は旅立ちとしては最高の日和だった。ギアナの入り江にはどこまでも飛んで行けそうな羽根の付いた船が陸地に接岸されていた。
 姉さんは導き手としての表情で淡々と僕たちに先へ進むように告げる。
 次々と仲間達が船に乗り込んでいく。そして最後に僕だけがこのアテカ大陸の地に残った。姉さんは優しげな表情を一瞬だけ浮かべて、すぐに導き手の表情へと元へ戻る。
「イワン、気をつけて役目を果たすのですよ」
「はい」
 言葉にしなくても伝わることもある。ここで情けないことを言うのは姉さんに甘えることだ。それは姉さんの意志を無下に踏みつぶすことということだ。
 僕は踵を返し、船へと歩き始める。そして仲間達の待つ甲板に向かって駆け出す。少し瞳の奥がじんと痺れたが、顔には出さず、そのまま一気に駆け込む。船が出発して、不意にゆっくりと海面から離れて浮き始める。
 きっと姉さんは少しの嬉しさとたくさんの寂しさを持ちながら、僕たちの旅立ちを見守り、無事を祈ってくれているのだろう。
 だって姉さんは人一倍心優しい人だから。
 だからこそ僕は安心してその心を預けられる。
 姉さんが僕の心の拠り所である限り――
 空から見る海の深い蒼さが姉さんの包み込む瞳のように僕を見守ってくれているように、そんな風に感じた。

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