No.3 サルタスの邂逅



 カッツァと共にサルタスの街に入った和弥は、ふぅっとまず一息つき、森の中を歩くことによって服に着いたよごれを丁寧に払い落とす。
「よーし、着いたぜー」
 カッツァは街の入り口で一息ついている和弥を気にすることなく、商店が集まる中心部へと先に進んでしまう。子供は元気だなとやたらと年寄り臭いことを思いながら、ゆっくりと和弥もカルタスの街を進んでいく。
 町並みは木造のゆったり落ち着いた感じのする建物が多く並んでおり、どこか懐かしさを感じさせる造りになっている。中心部に進むと人通りも多くなり、人が集まることによって出来る活気を感じることが出来る。
「お、いたいた」
 駄菓子屋と思しき古びた商店の前で商品と睨めっこをしているカッツァを見つけた和弥は後から声を掛ける。
「お、カズか」
「買い物するって言っていたが、こんなところで道草食ってていいのか?」
 レミス老人から渡されたメモに視線をやり、カッツァの頭に手をやる。カッツァはビクンと肩を振るわせると露骨にまずいという表情を浮かべてその場から逃げようとする。
「とりあえず逃げるな」
 カッツァの首根っこを掴みながら和弥は、財布を取り出し中から色とりどりの小さな銅貨を取り出す。
「そっか、こっちのお金の単位知らないんだな。いいぜ、教えてやるよ」
 といってカッツァはまず一番小さな銅貨を手に取る。
「まずここでのお金の単位は二種類あってペクとニアムな。日常生活でよく使うのはペク、ニアムは財産管理とか大きいお金が動くときによく使われるんだぜ。んでこいつが1ペク銅貨だ」
 カッツァは改めて和弥に銅貨をまじまじと見せつける。そしてそれを手に握ったまま、次は銀色に光る硬貨と金色に光る硬貨をそれぞれ手にする。
「こっちの銀色のが10ペク、んでこっちの金が混じってる硬貨が100ペクな」
 カッツァの説明によると金貨が10枚で1ニアムとのことなので、1ニアム=1000ペクらしい。
「説明はこんなところだな。さ、じいさんに頼まれた買い物とカズの買い物さっさと済ませようぜ」
 カッツァにメモを手渡しし、和弥は旅に出るのに必要なものを探すことにする。道具の入るしっかりした袋、雨風を凌ぐための外套、様々な場面で重宝する十徳ナイフなど手早く購入していく。
「後は、これか……」
 一通り必要なものを購入した後に和弥がやってきたのは様々な雑貨を扱う店だった。そしてその一角にぽつりと置かれたあるものに注目する。
「指だしの手袋? 何でこんなのがいるんだ?」
「こいつを隠すために使う」
 左の手の甲に深々と刻まれた0と言う文字をカッツァに見せつけながら、店主に代金を払い両手に指だしの手袋をはめる。
「これを見られるのはあまり良くないと思う」
 しっかりと手にフィットさせて良い感じだと呟き、和弥はカッツァに買い物リストの方に書かれたものは買えたかどうか確認を取る。
「ばっちりだ」
 さっき説明で使った硬貨で買ったのだろうか、明らかにリストの中に入っていないであろうお菓子をつまんでいるのは蛇足だが、それ以外はきちんと買えたようだ。
「それじゃあ、戻るか」
「ん、そうだなー」
 若干行儀悪く菓子をつまみながらカッツァは頷くと、ふらふらと和弥の先導を行う。
 このまま帰路につこうと思っていたが、何やら村の片隅で人々が集まりひそひそと何やら話し合っているのを見つけ、和弥はカッツァと共にその集まりに近づいて、話を聞くことにする。
「あのどうしたんですか?」
「ああ、何でもそこの猟師がドラゴンに似た唸り声と巨大な影を迷いの森で見たらしい」
「うっひょー、こんなところにドラゴンが来るとは思えないけど、それが本当なら見てみたいなー」
 カッツァはドラゴンという言葉に大きく反応して、1人興奮しているようだ。というかこの世界にはドラゴンがいるのか、にわかには信じがたいが、どうやらこの世界では普通にそれが当たり前の存在として認識されているようだった。
「一度ならまぁ何かの勘違いとか見間違いだったと思うんだが、それが山菜採りの連中や他の猟師でも同じようなものを見たのが大勢いてなぁ。どうしようか考えてるって最中なわけよ」
 この集団の中心にいた屈強な男の1人がカッツァの隣にやってきて、そう事態のあらましを簡単に説明する。
「ちょうどいい、カッツァ。お前なら迷いの森も詳しいだろう。レミス様と共にどういう状況になってるのか確かめてきてくれないか?」
「オイラはいいけどさ。ただレミス様も年だし、後何人か人がいれば助かるんだけどな」
 顔見知りと思しき男と会話をはじめてしまうカッツァを横目に和弥はあちこちから聞こえる事態のあらましに耳を傾ける。迷いの森とはどうやら和弥が倒れていた場所のことで、和弥も迷った通り、普通の人間は迷いやすい場所らしい。何でも迷いの森の奥は精霊の森と呼ばれる自然と共に生きる者達が住んでいる場所とも繋がっているようだ。あくまでも噂に過ぎないが。
「…………わかった。とにかく町長の指示を仰ごう」
 カッツァと話が付いたのか、男はカッツァを引き連れて一際大きな建物の方に向かっていく。カッツァの後を追い和弥もそれに続く。屋敷と言っても差し支えないこの建物が件の町長の家なのだろう。カッツァ共々中に入り、客間へと案内される。
「あら……」
 客間には既に先客がいた。それは湖畔にひっそりと咲いている花のように可憐な少女だった。
 全体的に白を基調とした衣装は淡い桃色のヴェールと相まって幻想的であり、少しでも触れれば壊れそうなそんなはかなさを持ち合わせている。全体的に色素が薄く、処女雪のような真っ白な肌に色素の薄い髪が太陽の光を受けて淡く輝いている。そして桜色に染まったふくらみかけの蕾のような大きな帽子が印象的である。
「あなた方は、もしや町長さんに呼ばれた方ですか?」
 育ちの良さを感じさせる涼やかな声で思わず見とれてしまっていた和弥とカッツァははっと我に返る。
「そうだよ」
「そうですか。ならばお願いがあります。私もあなた方に同行させて貰えませんか」
 神妙な面持ちで2人に向き直った少女に2人は面食らう。カッツァがいきなり和弥に顔を寄せてきてどうするかと聞こえないように訊ねてくる。
「どうするかと言ってもなぁ。とりあえず詳しい話を聞かせて貰って良いかな?」
 和弥は困ったように額の汗を指先で拭った後、少女にいきさつを聞くことにする。和弥の言葉に少女はしっかりと頷くと静かに語りはじめる。
 少女の名はリザヴェルと言うらしい。迷いの森に迷い込んだ彼女は巨大な魔物に襲われたらしい。何とか応戦して追い返すことには成功したのだが、その中で怪我を負ってしまい途中で倒れてしまった。そしてキノコ狩りをしていた町の人がそれを見つけて、町長の家で手厚く手当を受けたらしい。
 そしてこの騒ぎだ。リザヴェルが出会った魔物と同一ではないかと考えるのは自然なことではある。
「もしあの魔物ならこの町も危ないですし、何より町長さんにはよくして頂いたのでせめて恩返しがしたいんです」
 和弥はリザヴェルの話を聞きながら、違和感を感じていた。何故迷いの森に彼女はいたのだろうか。意匠が随所に凝らされている服装や仕草からにじみ出る品の良さから彼女が良い身分の人間である可能性が高い。基本的にそのような人間が迷いの森深くにいるとは到底思えない。
 そしてもう一つは和弥自身と境遇が似てるのだ。迷いの森で彷徨っていた和弥はカッツァとレミス老人に助けられた。魔物に関しては異なってはいるが、共通性は高い。
「ちょっとカズ、どうするんだよ」
 黙って考え込んでいたカズにカッツァが痺れを切らす。リザヴェルは縋るような目でこちらに視線を向けており、考える時間はあまりなさそうだ。
「カッツァはいいのか? もし足手まといになったらまずいだろう」
 自分のことを棚に上げているなと心の中で苦い笑みを浮かべながら、カッツァに聞き返す。
「カズよりは役に立つって。あのレイピアも飾りじゃなくて、本物だし。芸術品としての手入れじゃなくて武器としての手入れが行き届いてる」
 カッツァはカズはわかってないなーとも言いたげに、肩をすくめる。カッツァの言葉通り、確かにリザヴェルの腰にあるレイピアは本物なのだろう。
「わかった。カッツァがそう言うなら俺は反対しない」
「ありがとうございます」
 リザヴェルは表情をきっと引き締める。彼女自身、恐らく今回の騒ぎがもし自身に傷を負わせた魔物によるものならある種の覚悟が必要なのは想像に難しくない。
 町長と思しき初老の男が部屋に入ってくる。リザヴェルのことを心配しているのだろう。必死に引き留めようとしているが、カッツァの存在に気づきと、レミス様がおられれば安心とあっさりと引き下がってしまった。
 かくしてリザヴェルを連れて和弥とカッツァは迷いの森の端にある隠れ家に戻る。
 戻ると既に文でも受け取っていたのだろうか、レミス老人は黒くくすんだ色のマントに身を包み、その手にはしっかりと杖が握られており、既に出かける準備をしていた。
「事情は聞いておる。リザヴェルさんと言ったかの? 一服した後、早速探索を行おう」
 レミス老人はさっとハーブの香りが効いたお茶をポットからカップに注ぎ、リザヴェルに差し出す。リザヴェルは丁寧に礼を述べ、行儀良くお茶を飲み始める。
 カッツァはレミス老人に呼ばれ、どこかへと行ってしまう。残った和弥はリザヴェルと共にお茶を飲むしかなかった。探索に出れば落ち着いて話を出来る機会は少ないかも知れない、そう思い和弥はリザヴェルに今まで話を聞いた中で引っかかっていたことを聞こうと決意する。
「あの、リザヴェルさん」
「何でしょう?」
 緊張はする。綺麗な女の子と喋るというのもあるが、やはり例のあのことを聞くのは中々ためらわれるものだ。しかし臆していては何も始まらない。ある種、賭に近い感覚で和弥は口を開く。
「単刀直入に聞く。君は異世界からやってきて、殺し合いをしろと言われたよね」
 和弥は左手の手袋を外し、手の甲に刻まれた0という数字を見せつける。それを見た瞬間、リザヴェルの表情が一瞬にして穏やかなものから殺気を帯びたものに変わり、レイピアが見えない早さで抜き放たれる。
「まさかあなたもそうだったなんて……」
 首もと、寸分違わぬところで一寸の曇りもない白銀の刃は止まっていた。リザヴェルの余裕のない表情を見つめながら、和弥はこれは苦労しそうだと半ば他人事のように思うほか無かった。

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