2回裏、ノーアウトランナー無し、先頭バッターとして恩田が右のバッターボックスに入る。
(できれば、ランナーがいるときに打席を迎えたかったが……)
 恩田はバットのグリップにぎゅっと力を込める。狙いは長打。できればホームランで流れを一気にこちら側に引き寄せたいところだ。
 ネクストバッターズサークルで中々良いスイングをしている進はともかく素人に毛が生えたような連中ではあの笠井という投手から点は取れないだろう。笠井からヒットを打てるのは限られたメンバー――夏実、吉沢、恩田、進くらいだ。
 ならばチャンスメイクするのは得策とは言い難い。最悪、シングル二つでもそこから充分抑えられるはずだからだ。
 プレイのコールがかかる。笠井がしっかりとしたフォームから初球を放つ。
(カーブか)
 低めにどろんと落ちるカーブを見送り、恩田は夏実からの情報に1人頷く。2球目のストレートも見送り、1ボール1ストライクにカウントがなる。
(次はストレートか、それともカーブか)
 恩田は一つ呼吸を置き、もう一度集中力を高めていく。畑田のサインに頷いた笠井は、恩田を見据えたまま投球モーションに入り
(ストレート!)
 インコースにボールを放つ。瞬時に球種を判断した恩田はスイングに行く。
「……うぉら!」
 気合いのこもったかけ声と共にバットが強くボールを捉える。強烈な金属音が耳朶を打ち、恩田は勢いよく駆け出した。



09 校内戦3 動き始める試合



(しくじったか)
 完璧に捉えたかと思ったが、バットがボールに当たる直前、僅かにシュート気味に変化したらしい。バットの芯から少し外れたために、ボールの勢いは落ち、ふらりとレフト方向へ打球が上がる。
 普通ならば平凡なレフトフライだ。だが、レフトは野球経験がほとんどない小川だ。先程は意外にもヒットを打たれたが、それでも落とす確率は高い。実際落下点までは到達したが、グラブには収まらない。
「落ちた」
 恩田はスピードを落とすことなくファーストベースを踏み、二塁へと向かおうとするが、ショートの有山が素早いカバーリングを行い、恩田はやもなくファーストベースへと帰塁する。
 記録はレフトのエラーで、ノーアウトランナー1塁。続く打者に進が入る。
「さぁ、来い!」
 威勢のいい声で笠井と目線をぶつける進。恩田が出塁して進はランナーを返すことに集中する。
 笠井が1球目を投げる。キャッチャーのリードは外の直球だったが、それが幾分内に入り、ストライクゾーンの真ん中付近を通過するのを進は見逃さない。しっかりとしたスイングでボールを捉え、振り抜く。
 打球は俊足を誇るセンターの頭上を越え、ぽとりと落ちる。打球が落ちるのを見て、12塁間で様子を窺っていた恩田がスタートを切る。
 センターが捕球し、野村へと中継。恩田はサードに到達し、そのままホームへと向かう。
「舐めるな」
 野村が内外野の境目辺りから鋭い送球を畑田に放つ。タイミングは際どいと判断した恩田はそのまま滑り込む。
「アウト!」
 野村の送球をきっちりと受け取った畑田が滑り込む恩田をタッチする。上手くかわそうとしたがそれを阻止したのは畑田だった。
「ちっ……、点が取れなかったか」
 恩田はゆっくりと立ち上がり、ユニフォームに付いた泥を弾きながら、点を取れなかったことに苛立ちを覚える。ここで何としても1点をもぎ取っておきたかった。
 案の定、次の大野はカーブにタイミングが合わずにサードゴロ、そして東条は粘ったものの三振に倒れ、進が二塁にいたのにもかかわらず得点ならずという結果となった。
「進と恩田でも点が取れないか」
「流石に2人でもぎ取ろうとするのは虫が良すぎたか」
 ベンチで守備の準備を始めた吉沢が、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる恩田を宥めながら、状況を冷静に分析する。
「とにかく、これ以上の点は取られたくない。進、頼むぞ」
 流れが向こうに行っている今、これ以上の点で流れを失いたくはない。進の投球で無失点に抑えたいところだ。
 マウンドに向かった進はベンチの前で黙々と素振りをする野村の姿を一瞥する。1番の野村から始まるこの3回、ポイントとなりそうだ。
 夏実も同様の考えだったのだろう。進の元へやってきて、野村対策について進と少し言葉を交わす。そんな二人の様子を獲物を狙う狼のように鋭い目つきで野村は見据えていた。



 3回表が始まる。恩田を本塁でのクロスプレーで刺せたことは大きかった。2点差と1点差では大きな違いがある。
 それに進の三者連続三振で野球部に行こうとしていた流れを再び引き寄せることが出来た。ならばここでもう1点取れば、相手に大きなダメージを与えられる。
 野村はそう考え、投球練習を開始した進の方を見やる。当然警戒してくるだろうが、野村にはある考えがあった。ネクストで控える有山に小さく耳打ちし、野村は右バッターボックスに向かう。
(さてどう攻めるか)
 野村の頭の中には得点へのシナリオが既に出来上がりつつあった。一方夏実は野村をどう攻めるか考えあぐねていた。進のストレートを初見で弾き返した打者だ。ストレートで押す投球は難しい。
(まずは初球は……)
 サインを進に送り、夏実はミットをどっしりと構える。後は投手を信じるだけだ。
「行っくぞ!」
 進が躍動感溢れるオーバースローからボールを放つ。白球は鋭い腕の振りとは対照的にノビが無く
(フォークか)
 手前でストンと打者をあざ笑うかのように落下する。野村はそれを捉えることが出来ずに無様に空振りする。
(流石に初見であのボールはきついな)
 中々のスピードボールに落差のあるフォークボール。進という投手の投球の核はこの2つのボールにあるのだろう。だが、野村も黙って手をこまねいている訳ではない。ここはどんな形でも出塁することを考える。
 夏実は今の野村の様子を見て、素早くサインを出す。ここは手早く抑えたい。そういう思いがあった。進はサインに頷くと、もう一度同じコースにボールを投じる。
(やはりフォークか)
 今度は野村がそれを冷静に見逃し、1ボール1ストライク。次に投じたスライダーが外れて、2ボール1ストライクとなる。バッティングカウントだ。
(次の球は……)
 夏実は迷うことなくサインを出す。進は自信ありげな表情を浮かべて、ゆっくり投球動作に入る。
「うぉら!」
 投じられたのは高めに向かう直球。球に力が、自信があるからこそそこへ投げ込める。
 だが、野村もただ手をこまねいて見ている訳ではない。進の表情からストレートが来る予感はあった。わかっていれば速いボールだろうが、当てられることは当てられる。野村は高めの直球をバットで上から――すなわち大根斬りのように覆い被せてバットでボールを叩きつける。
「……セカン!」
 打球は進の横を高いバウンドで跳ねていく。司が前進してきて、バウンドに合わせて捕球。ファーストに送球しようとするが、野村が既にファーストベースに到達しかけており、結局投げられない。
「また出塁か」
 吉沢はファーストベースから虎視眈々と次の塁を狙う野村を一瞥して、この出塁を阻止できなかったことに何とも言えない流れの悪さを感じていた。
そういう予感は当たるもので
(しまった)
 初球から二塁へ盗塁を敢行、夏実が焦って吉沢の頭の上を越えるボールを放ってしまった間に3塁まで到達する。
 そして次の球を有山がセカンドにゴロを放ち、その間に野村が生還し、さらに1点が加わる。
「ナイスバッティングだ」
「指示通り、上手くいったな」
 野村と有山は顔を合わせ、得点を奪った作戦について話し合う。その様子をセカンドから眺めながら司は苦々しげな表情を浮かべるのだった。

3回表 在校生3-0野球部

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