マウンドに内野陣が集まる。スクイズによるダメージが余程大きかったらしい。野村は少し口の端を歪めながら、茫然自失とするバッテリーを眺める。
 野村の予想は当たった。進はストレートに自信のある投手だ。性格的にも典型的な投手型の人間と見ていた。そしてキャッチャーの夏実は女子と言うこともあって恐らく実戦経験は乏しいはず。この二つからまず野村は初球のボールを投手の一番自信のある球――すなわちアウトローのストレートと読んでいた。
 そしてそれを読んでいれば速いといえども野村の力を持ってすれば捉えることは容易だ。案の定、予想はどんぴしゃでライトのもたつきもあってスリーベースとなった。これでバッテリーは焦り、2ボールになる。この時点でストライクを投げることは確実となった。試合経験も不足しているし、スクイズの警戒もほとんどなかったため裏を掻けばあっさり点が入った。
 だが、タイムでこの動揺は消されるだろう。1点では心許ない。ならどうするか、点を取るしかない。3番の笠井と4番の畑田は中学時代はバッテリーを組んでいたが、流石にあのボールを投げる進では得点は難しい。
 野村はネクストバッターズサークルに立つ小川に目配せし、ベンチへと戻す。
「どうしたの〜?」
「2ストライクになったら、思い切り低めにバットを振れ」
「わかったー」
 小川に指示を出し、野村は行ってこいと小川を送り出す。これは一種の賭だ。もう1点を取れるかどうかの。
 考えている間にも試合は進み、畑山は初球を詰まらされ、ゲッツーを取られ、アウト三塁となる。
 野村はぼんやりとしながらバッターボックスに向かう小川を一瞥した。



08 校内戦2 誤算



 ゲッツーを取れたとは言え、三塁までランナーが進んだ。2アウトながら警戒するに越したことはない。バッターは小川。小柄で捉え所のない感じがするが、進の力なら押し切れるはずだ。
 夏実はまずストレートを要求する。進は黙って頷くと、セットポジションから力強いストレートを投げ込んでくる。小川はこれに手が出ず、まず1ストライク。
 2球目は外に逃げるスライダー。これには手を出さず、ボールとなる。3球目のストレートは高めに浮くが、小川が空振りし、2ストライクとなる。
(さて追い込んだ)
 夏実は相変わらず表情一つ変えずどこかのんびりとした風体の小川に目を遣り、思案する。勝負球の選択はどうするか。三塁にランナーがいるこの状況でフォークは選択しにくい。それに小川はストレートにもタイミングがあっていない。
(え、マジかよ……)
 普通ならここはストレートだが、夏実は敢えてフォークのサインを出した。しばしの逡巡の後、進はサインに頷き、ボールを挟み込む。そしてベース目がけて腕を振り抜く。
「えい」
 ベースの手前で落下しはじめたボールをすくい上げるように捉える小川。お世辞にもスイングはいいとは言えないが、球種が力のないフォークだったのが幸いした。ふらふらっと上がったボールはレフトの前に落ちる。
 もちろん三塁ランナーの有山はホームに帰ってくるのだが、レフトの助っ人渡辺がボールを後に逸らしてしまう内に、小川は二塁に到達。またしても得点圏にランナーが進む。
(うーん、上手くいかないなぁ)
 夏実はそう感じながらも、マウンドでロジンバックを手にする進の元へ向かう。
「ごめん、ワンバンでも良いって言うべきだったね」
「俺も少し良いところに決めようとしすぎた」
 進の気遣いに夏実は少し驚きながらも、自分の判断ミスを反省した。後に絶対逸らさないという自信と進にはフォークという決め球もあるぞという強烈な宣言を意識付けさせるためだったのだが、逆にストライクゾーンに来てしまった。それで小川のバットに当たってしまった。野村の意図もこれだった。フォークを投げるという情報は既に持っており、ストレートより打てる確率が僅かに上と判断したのだ。三塁になったから投げないと思っていたところに来て、負けると思っていたギャンブルに勝ったことになった。
 これは野村にとって嬉しい誤算だった。点は取れる方が良い。しかも相手のミス絡みだ。盛り上がらないはずがない。
 だが、進と夏実は落ち着いていた。次の打者をストレートで力押しし、今度はしっかり落としたフォークで三振を奪い、1回の表の攻撃を何とか2点で済ませる。
「何とか凌げたね」
「ああ」
 ベンチに戻り、夏実はプロテクターを外しながら、一回の投球について手短に述べる。
「今度はこっちから反攻だ」
「うん、それじゃあ行ってくるね」
 1番打者である夏実はバットを持って、左バッターボックスへと向かっていく。
「さてまずは同点にしたいところだ」
「そのためには、まず塁に出ないとはじまらない」
 バスケ部の笠井、サッカー部キーパーの畑田のバッテリーは野球経験もあり、それなりの力を持っていたらしい。流石に一筋縄ではいかないだろう。吉沢と恩田の共通の認識だ。
(いかにクリーンアップの前にランナーを溜めるか)
 当たり前のことだが、とても重要な事であると夏実は考える。特に素人の多いこのチームで、名門チームでやっていける能力を持つ吉沢、恩田、進の得点能力がキーになってくるのは当然と言えよう。
(私の役目はとりあえず情報を得ること。そのためには粘る)
 夏実はバットを一握り分短く持ち、構えを取る。まずはこの投手から攻略の糸口を掴むことだ。
 笠井が初球をノーワインドアップモーションから放つ。進より球の威力は落ちるが、しっかりコントロールされたボールが外角に決まる。2球目はどろんと落ちるカーブ。これを見逃して1ボール1ストライクとなる。
 3球目はストレートが外れ、4球目はカウントを取る小さな曲がりのスライダーで2ストライクと追い込まれる。
(ここまでの印象だと、低めに丁寧に投げてカウントを稼ぐ投手って感じだね)
 打てない程ではない。そう判断した夏実はアウトコースに来たボールをしっかりとレフト方向へ弾き返す。
 夏実の放った打球はレフト前に落ちてシングルヒットとなる。
「ナイスヒット」
 進がベンチから大きく声を掛ける。夏実は小さく片手を挙げ、それに応じる。続く水瀬がバッターボックスへと向かう。
「バントと行きたいが、練習もしていないし、ここは強攻策に出るしかない」
「そうだな。だが、それが吉と出るか凶と出るか」
 ベンチを出て行く吉沢に恩田は水瀬の打撃についての不安を述べる。チーム1の俊足で守備にもセンスを見せつつある水瀬だったが、小柄な体故打撃に関しては全く期待できなかった。それにセンターの守備をたたき込むため、守備練習しかさせて来なかったのもある。
 弱々しい金属音と共にピッチャーの前にボールが転がる。ダッシュでそれを捕球した笠井はすぐさまセカンドへ送球。受け取った野村がベースを踏み、素早い送球でファーストもアウトにする。
「案の定、か」
 使い慣れたバットを手にして、恩田がゆっくりとベンチから出て、アップをはじめる。吉沢も粘った末にセンター方向に鋭い打球を飛ばすが、野村の守備に阻まれ、セカンドゴロに終わる。
 2回表は進が、7番から始まる下位打線を三者連続三振に取る快投を見せ、ギアが入り出してくる。ストレートも球数を重ねるごとに球威を増し、それに従い相乗効果でフォークの効果が上昇する。
「ナイスピッチング」
「ああ」
 ベンチへと駆けていく進に恩田の声がかかる。
「とりあえず守りは大丈夫そうだな」
「問題は反撃だよな」
 進の言葉に恩田はしっかりと頷く。進はやはりそうかと心の中で恩田の考えていること、言いたいことを把握する。
 次の回、4番の恩田から始まる打順だ。進はその後に控えるが、問題はその後の打順だ。大野はバットを持たせるとスイングは良いが、まだタイミングの取り方が難しいらしい。東条は元々打撃はあまり得意ではないという話だ。そしてその後の助っ人2人に打力を期待するのも酷な話だ。
「西崎、わかってるな」
「わかった」
 ベンチに戻り、愛用するバットを手に取った恩田は真剣な表情を浮かべて、ゆっくりと立ち上がった。

2回表終了 在校生2-0野球部

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