その日の校舎はどこか浮き足立っているように藤森春菜は感じていた。新入生に対する受け入れも終わりつつあり、新しい日常が始まりつつある。
 そんな時期に1年生が作った野球部と2,3年生が在校生として試合をするという面白そうな情報は、瞬く間に学校中に伝わりもっぱらの関心事項であるらしい。
 プレイボールは今日の放課後午後4時から。観戦は自由という触れ込みで、娯楽の少ない学園生活の憂さを晴らすかのように盛り上がっているというわけだ。
「そっか、夏実も出るんだよね」
 昼ご飯を食べた後、すぐにグラウンドで練習を始めてしまった友人の姿をベランダから眺めながら、春菜はぼんやりと思案にふける。
 あんまり野次馬的なものは好きじゃないし、野球についてはほとんどわからない。たまにお父さんがお酒を片手にテレビの前で観戦しているのを横目で見るくらいだ。
 でも、夏実が出るんだったら、ここでゆっくり観戦でもしようかな。そんな風に考えながら、春菜は進の剛速球を次々とキャッチしていく夏実の姿を見て、微笑んだ。



07 校内戦1 野村という打者



 日も随分傾いて、後1,2時間もすれば茜色に空は染まっていくのだろう。踏みしめるグラウンドの土が緊張感を高めてくれる。
 懐かしい感じだ。中川司は素直にそう思った。中学まではずっと野球をやっていたし、その感覚がまだ残っているのだろう。この緊張感をもう一度味わうことが出来ただけでも嬉しく思う。
 投球練習を終えて、試合の準備へと向かう進の姿を一瞥して、司は自分の左手を覆うグラブの感触にうんと小さく一つ頷いた。
「それではこれより、新入生の歓迎試合を行います」
 この試合の成立に尽力した平井美姫の言葉で、両チームの選手が整列する。
「今日は良い試合を」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
 吉沢と有山がスポーツマンシップに倣った和やかに握手をすれば
「せいぜい俺を楽しませてみろ」
「絶対負けませんから」
 進と野村がやや険悪な感じで視線を交える。
「一同、礼!」
「「よろしくお願いします!!」」
 審判役を買って出た体育の教師のどでかい声でグラウンドにいる全員が頭を下げる。そしてまずは進達がグラウンドへ散っていく。
「よし、頑張ろう!」
 マウンドに集まった内野陣に声を掛けるのは吉沢だ。チームのまとめ役として、練習からやってきたうちに自然とこうなった。
「おう」
 進がマウンドの足場をならしながら答える。なお、両チームのオーダーは次のようになっている。

野球部(1年)
1番阿部(捕)右投げ左打ち
2番水瀬(中)右投げ右打ち
3番吉沢(遊)右投げ左打ち
4番恩田(三)右投げ右打ち
5番西崎(投)右投げ右打ち
6番大野(右)右投げ右打ち
7番東条(一)左投げ左打ち
8番中川(二)右投げ右打ち
9番渡辺(左)右投げ右打ち

在校生チーム(2,3年)
1番野村(二)右投げ右打ち
2番有山(遊)右投げ右打ち
3番笠井(投)右投げ左打ち バスケ部エース
4番畑田(捕)右投げ右打ち サッカー部キーパー
5番小川(左)右投げ右打ち
6番大城(中)右投げ左打ち サッカー部FW
7番三条(三)右投げ右打ち ラグビー部
8番大久保(右)右投げ右打ち
9番宮 (一)右投げ左打ち

 マウンドに立った進が投球練習を終え、ふうっと一つ息をつく。どこのグラウンドであってもマウンドから見える景色は格別だ。気分が高揚し、目の前の勝負に自然と気持ちが入る。
「プレイボール!」
 コールと共に野村が右バッターボックスに入る。鋭い眼光が進に向けられて、ボールを握る右手に力がこもる。
(まずはアウトローいっぱいにストレート。しっかり決めてよ)
 サインを送り、夏実はみっとをびしっと構える。進は大きく頷くと、大きく振りかぶる。
 左足が上がり、大きく踏み込む。何千、何万回と繰り返され体に染みついたモーションから渾身の直球が放たれた。
(よし、少し甘めだけど球は来て……)
「……っ、甘い!」
 無駄の無いフォームからの鋭いスイングが夏実の眼前を通り過ぎたと思うと同時に、耳を劈くような強烈な打球音がグラウンドに響き渡る。
「ライト!」
 打球は鋭い放物線を描きながら、ライト方向へと流れていく。大野が追いかけるも初心者である大野ではボールに追いつくことは出来ずにボールが転々と転がる。
「中継だよ」
 水瀬の声に大野はセカンドの司に何とかボールを返すが、その頃には野村は三塁へと向かっており、三塁を楽々陥れられてしまった。
「流石と言うべきか」
 吉沢は三塁に到達したのにもかかわらず虎視眈々とホームへと視線を送る野村を一瞥し、その実力が衰えていないことを改めて実感する。
 元々野村は有望な選手だったのだ。超攻撃的と評されるプレースタイルで隙を見せれば相手を容赦なく叩きのめすその実力。だが、プレー同様苛烈すぎる性格でチームメイトや監督とそりが合わなかったらしい。
 そのため、結局トラブルを起こし、チームを追い出される形となり、半ば選手生命を切られる形となった。
(今の打球とプレー、警戒してたのにその上を行かれた……)
 夏実は三塁ベースからこちらを見据えられているのを感じ、少し気持ち悪くなる。進はというとストレートを打たれたことに少しびっくりしているようだった。
(とにかく次の打者を打ち取ろう)
 夏実は進にサインを送り、投球を促す。進はすぐに頷き、バッターボックスに入った有山に対して投球を開始する。
「ボール」
(うーん、僅かに外か……)
 審判のコールに夏実は少し顔を歪める。初球はスライダーが外れてボール。次はストレートをアウトローに要求し、進もきっちり投げ込んできたのだが、僅かにストライクゾーンを外れており、ボールと判定される。これで2ボール。次はストライクが欲しい。
 夏実は少し焦りを覚えながら、手早くサインを送る。
 進はそれに頷き、投球動作に入る。と同時に野村がスタートを切る。有山がバントの構えを瞬時に見せる。
「スクイズ!」
 カウントが悪かった。ストライクゾーンど真ん中に入ったボールはきっちり転がされ
「夏実!」
「うん」
「無駄だ」
 ボールを捕球した進がトスするが、野村は素早くホームに滑り込み、ベースをタッチする。
「セーフ!」
 審判の両手が大きく横に開かれ、僅か4球で先制点を奪われてしまった。
「ボール、フォアボール」
 続く3番笠井をフォアボールで歩かせて、ノーアウト1,2塁となる。
「タイム」
 吉沢がタイムをかけて、内野陣をマウンドに集める。
「進リラックス。まだ一点だ。自分のボールを信じてしっかり投げればそうそう点は入らないから」
 司が肩肘張った進の肩に手を置き、こりをほぐすようにマッサージをかける。
「ごめんね、もう少し私が警戒していれば……」
「もしかしたら、阿部は実戦経験少ないのか?」
 落ち込む夏実に吉沢はもしかしたらと考えていたことを口にする。
「う、うん……」
「ったく、頼りないバッテリーだな。後1点くらいならやっても構わない。吉沢が出て、俺がHRで返してやる」
 項垂れる夏実に恩田はぶっきらぼうな口調で言う。吉沢はその言葉に続けて、バックを信じて投げろと続ける。
「しっかりしろよ、進。エースなんだから、らしい投球を期待してるぞ」
「あ、ああ」
 司の言葉に落ち着いたらしい進に吉沢は声を掛け、内野陣は散らばっていく。
 進はふぅっと息を一つ吐き、マウンドから空を見上げる。空の青さに心が落ち着く、そしてもう一度意識が冴え渡ってくる。
 夏実のサインに頷き、セットポジションからモーションに入る。
 それはこの試合のはじまりと同じボール、アウトローへの直球。
「打てるなら打ってみろ!」
 ガキンと鈍い音がして、進の横をボールが転がっていく。司がスピードを上げ、ボールを捕球し、セカンドへ送球。それを吉沢が受け取り、まず1アウト。そしてそのまま吉沢が東条に送球し、これもアウトで4-6-3のゲッツーが完成する。
「ナイスセカン、ショート!」
 進のかけ声に司と吉沢は軽く片手を挙げて答える。
「さぁ、次のバッター行くよ」
 夏実は進に大きく声を掛け、キャッチャーマスクをかぶるのだった。

1回表 在校生1-0野球部

back top next

inserted by FC2 system