午前の授業の終わりを告げるチャイムが学舎に響き渡ると三々五々、生徒達は待ちに待った昼食の時間に突入する。
 朝日丘では三種類の昼食の取り方がある。教室で弁当を持参し、食べる方法。また購買でパンやおにぎり、お弁当を買う方法。そして食堂でカレーやうどんなど定番のメニューを注文する方法。
 夏実は一番最初の弁当を持参する方法をとっていた。隣の席で仲良くなった女子と一緒に食べるのだ。
「そういえば、夏実、部活は何に入ったの?」
 卵焼きをつつきながら、夏実の向かい側に座っていた少女――藤森春菜は、恐らく日本でも屈指の定番メニューであるタコさんウィンナーを頬張る夏実に目をやった。
「……ん、野球部に入ったよ」
「へぇ、野球部かぁ。マネージャーか何か?」
 二つ目のタコさんウィンナーを箸でつまんだ夏実は、春菜の言葉に首を横に振る。
「え、マネージャーじゃないの?」
「選手だよ。キャッチャーやるの」
 さも当然といった風の夏実の言葉に春菜は目を見開く。女なのにもかかわらず選手をやると言う夏実の言葉がにわかに信じられなかった。
 そんな春菜の反応を見越していたのだろう。夏実は少し苦笑気味な表情で、大変だけどねって呟く。
「でも夏実が試合出るんだったら私も見に行こうかな」
「見に来てよ、野球面白いよ。見れば絶対面白いから」
「じゃあ、そうするね」
 春菜は卵焼きの最後の一切れを箸で口に運びながら、小さく夏実に笑みを浮かべた。



06 孤高の狼



 残る部員は後2人となって、吉沢は進と共に二年生の教室が並ぶエリアへと足を踏み入れていた。夏実を含めた残りのメンバーには引き続き、一年生で入ってくれそうな生徒を捜すように言ってある。
 吉沢の目的は即戦力になれるとある人物を捜すことだった。その人物が入ってくれれば大幅な戦力アップが見込めるはずだと吉沢は踏んでいた。
 普段あまりいない一年生が入って来たことで、二年生の関心を含んだ目が進と吉沢に向けられるが、2人はさして気にすることもなく、目的の人物を捜す。
「あのー、野村さんっていますか?」
 吉沢は近くにいた小柄な少年――恐らくは先輩だが――に声を掛けて、目的の人物について訊ねる。
「あ〜、野村君だね〜。呼んでくるよ」
 間延びした声にのんびりとした表情のまま、少年は小動物のような走り方でその場を去っていく。
「大丈夫なのかな、あれで」
「どうなんだろうな」
 少し声を掛ける人を間違えたかなと思いながら、しばらく待っていると少年が戻ってきた。だが、件の人物の姿はどこにも見えなかった。
「探してみたけど、ちょっと今どこにいるかわからないね〜」
「あ、そうですか。ご足労おかけしました」
「あれ、有山君。野村君どこにいるか知らない?」
 礼の言葉を述べて改めて別の場所を探しに行こうとした吉沢の言葉を遮って、少年は横を通りかかった有山という少年を捕まえる。
「小川、野村を捜しているのか?」
「うん、そこの新入生がね〜」
 小川と呼ばれた少年は、進と吉沢を手招きしながら、有山に告げる。
「そうか。野村ならさっきまでトイレに行ってたみたいだが……」
「あ、野村君」
 周りがざわざわし出したのを感じて、吉沢と進は2人から視線を外し、辺りをゆっくりと見回す。今まで無造作に広がっていた生徒達が、廊下の両端に避けている。そして出来た隙間を通り抜けてくるのは、いやに精悍な顔つきに鋭い目つきの青年だった。
「野村、ちょうど良かった。お前を捜している新入生がいて」
「そいつらってことか」
 吉沢が探していた件の人物――野村亮平は2人をなで回すように観察し、鋭く睨み付けてくる。
「話があるんだろう。ここじゃ、他の奴がうるさすぎる。別の場所に行くぞ」
 緊張感に溢れた吉沢の顔を軽く一瞥して、野村は有山に階段の方を指さし、さっさとその場を去っていく。吉沢に続いて、進も後を追う。さらに有山だけではなく、小川までも何故か付いてきて、階段を上がった先にある屋上へと歩を進めた。
「ここまで来ればいいだろう」
 鉄網に背中を預けながら相変わらず鋭い視線を送ってくる野村は、2人を見ることもなく呟いた。進は吉沢に任せると言って、一歩だけ後に下がる。
「単刀直入に言います。野村さん、野球部に入って貰えませんか?」
 吉沢の切り出しに驚きの表情を浮かべたのは野村ではなく、有山だった。
「お前、どっかのシニアでショートやっていた奴だな」
 野村は表情一つ変えることなく吉沢にきっと睨むような視線を送りつけてくる。だが、それに臆することなく吉沢は小さく首を縦に振る。
「結論から言ってやる。野球部に入るつもりはない」
「おいおい、ちょっとくらい俺らの話を聞いてくれたって……」
「いや、いい」
 文句を言いたげな進を制し、吉沢はとりつく島もない野村ともう一度向き合う。
「それは絶対ですか?」
「そうだ」
「でも、新入生に大してそれはあまりにも酷だよ。もうちょっと穏便に行けないの?」
 有山が取り繕うように野村に声を掛けるが、それを気にすることなく野村は話はそれだけかと吉沢に目を向ける。
「ないようだったら、俺は戻るぞ」
「あら、逃げるのかしら?」
 吉沢の無言を肯定と捉えその場を離れようとする野村に行く手を阻むように冷ややかな声がかかる。
「何だと。またお前か、平井」
 唇の端を歪め、敵に向かう獣のように野村が表情をしかめる。その先には、綺麗に手入れされたロングヘアが印象的な少女が1人、挑発的な表情を浮かべてて佇んでいた。
「だって、そうでしょ。断るなんて偉そうなこと言ってるけど、向こうがどれくらい真剣なのかわからないじゃないの」
「だったとしても俺には関係のない話だ」
 吉沢を睨み付けていたときとは比べものにならないほど、険悪な表情を浮かべる野村。
「えっと、あなたは……」
「私は平井美姫。野村君とは同じクラスでクラス委員をやってるの」
「いちいち突っかかってくるうっさい女だ」
 吉沢が平井に質問したことで、だいたい状況は読めてきた。要するに犬猿の仲ということなのだろう。
「まぁ、新入生を無下に扱うのもちょっと気分が悪いし、でも野村の言いたいこともわかるから複雑だな」
 2人を宥めるように間に入って来た有山は、野村の強烈な視線を受け流して、ある提案をする。
「そこでこういうのはどうかな? 新入生歓迎を込めて、校内戦をやるんだ、野球部と2,3年生で」
「いきなりお前は何を言ってるんだ、有山」
「でも面白そうだね〜」
 訳がわからないと言った様子の野村は良い案じゃない?と満足気な有山を呆れも含めた視線を送りつける。だが、小川は賛成に回り、平井もしばし思案顔を浮かべた後に、何か思いついたようで良い案と思うと自分の意見を告げる。
「おい、お前ら」
「……いいですよ。納得させるだけの自信はありますし」
 吉沢は真剣な表情を浮かべたまま、じっと野村の目を見つめる。
「ふん、そこまで言うなら受けてやる。だが、俺を納得させることが出来るとは思うなよ」
 野村は何故か苦虫をかみつぶした様な表情を浮かべて、もういいなとばかりにその場をさっさと去ってしまう。
「それじゃあ、また放課後、詳しいルールを決めようか」
 有山の提案に吉沢はもちろんと頷きながら、予鈴の鳴り始めた屋上から見える青く澄み渡った空をゆっくりと見上げた。



 放課後、吉沢は有山、そして平井を交え、詳細について議論を行った。試合は一週間後の週末金曜日に行われることとなった。審判に関しては野球経験のある教師に頼み、グラウンドの使用も平井を通して承諾されたらしい。
 見事な手際の良さに吉沢は驚きを隠せなかった。目の前にいる涼しげな表情を浮かべた整った顔立ちを軽く一瞥して、吉沢はとんでもない人物もいたもんだと心の中で舌を巻いていた。
「それじゃあ、詳細はこれでいいかな?」
「はい、お願いします」
 まとまった資料を丁寧に折りたたみ、ファイルの中にしまいこんだ有山は平井を一瞥してから立ち上がる。
「来週の試合、お互いにきちんとした試合ができるように頑張ろう」
「はい、お願いします」
 吉沢は有山に軽く頭を下げると、一足先に打ち合わせを行っていた2年生の教室を後にする。
 あらかじめ進達には助っ人をしてくれる人間を捜すように指示は出しているが、今までの勧誘から中々厳しいのではないかと吉沢は考えていた。どっちにしろ、野球は9人いてこそのスポーツだ。それぞれのポジションに選手がいてこそここの役割がはっきりする。
 中でもバッテリーは守りの核だ。進というレベルの高い投手がいる上に、キャッチングの良い夏実が入ってくれたことで、守りの核は出来上がった。一方打線にはそれが足りない。吉沢はあくまでも3番タイプだ。
「吉沢、面白そうなことしているじゃないか。俺も混ぜろよ」
 バットのケースを背負ったまま光に満ちた目でこちらを見据えてくるのは、4番を任せられる、打線の核となり得る男――恩田雄大だった。
「恩田、お前に頼みがある。4番を打ってくれ」
「当然だ」
 進との勝負を通して復活した男は吉沢の言葉に自信に満ちあふれた表情で頷き返した。

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